「一」死せる孔明、最後の賭け


 −我が生涯が終わる時、仲達を討ち果たしていられたならば…。
 これが蜀漢丞相孔明の最後の願いであった。
 そしてそれを錦嚢に託したのである。
 孔明の残した遺言により丞相の位を継いだ趙雲は仲達を迎え討つべく祁山に陣を敷いた。


「それでは孔明は避暑のため本営を祁山から上方谷へ移そうとしておると言うのか?!」 仲達は言った。
 今彼は上方谷へ兵糧を運んでいるところを捕まえた兵に詰問しているのである。
 しかし彼の占星術では孔明はすでに死んでいると出ていた。
 −占星術が必ずしも当たるとは限らぬ。ここは孔明が生きているとして軍を進めた方がよかろう。
「ならば一気に上方谷を攻め、孔明の首を掻き切りりましょうぞ!」
 と言ったのは亡き猛将夏侯淵の三男、恵であった。
 夏侯淵には四人の息子がいて、上から順に武術に優れた長男−夏侯覇(仲権)、次男−夏侯威(季権)、知略に長けた三男−夏侯恵(雅権)、四男−夏侯和(義権)。
 そこで今回は子の四人にに経験を積ませるため従軍させていたのであった。
「まあ待て。師、御辺はどう見る?」
「ここは兵を二手に分け、一方に祁山を突かせておき、そちらに兵力が集められたときを見計らって上方谷を落とせばよいと存じます。」
「うむ、その通りだ。」
 夏侯兄弟はムッとした。
 仲達が息子に尋ねたのは彼らを競わせるためだった。
 そうすれば双方の成長が速まると思ったのである。
「では夏侯覇、夏侯威は郭淮(伯済)、孫礼(徳達)に従って祁山を突け。」
「ははっ」
「夏侯恵、夏侯和は師、昭と共に私に従え。」
「ははっ」
 こうして郭淮、孫礼らは兵を率い、祁山に向けて出陣した。
 祁山では必死に抵抗しているかに見えたので仲達は我が計略成れりとばかりに息子達を従えて一路上方谷へ向かったのである。
「来たか、仲達!」
 途中、森林から魏延が伏勢を率いて現れた。
 −魏延あたりを残してあるのは予測済みだ。しかし他の諸将が祁山へ向かっているから兵数は数百しかないはずだ。
 この仲達の読みは的中していた。
 魏延はせいぜい五百程度の兵しか率いていなかったのである。
「この魏延がいるとも知らず攻め込んでくるとは司馬仲達愚かなり、うおぉぉぉぉぉぉ−」
 と魏延は龍牙刀をふりまわし、鬼神のごとく勢いで魏軍に襲いかかった。
 しかし衆寡敵せず、味方の兵はどんどん倒れていく…。
 司馬兄弟が魏延に襲いかかった。
 −そろそろ潮時か…。
 そう思って魏延は退却を始めた。
「待て、魏延ともあろう者が卑怯なるぞ!」
 と司馬親子は猛然と追撃を開始した。
 すると魏延は忽然と谷間へ姿を消した。
 仲達は谷の出入口までせまり、うかつに中に入らず物見の兵に中を探らせた。
 兵の報告によると、中に蜀漢兵の姿はなく、山腹にいくつかの仮小屋があるだけだということだった。
「その仮小屋に兵糧が収められているに違いない!」
 司馬兄弟は異口同音にこう言って真っ先に谷へ突入した。
 仲達はもう少し詳しく中の様子を調べようと思ったが、息子達が入って行ったので自らもそれに続き、諸将もそれに続いた。
 入ると仲達は小屋の上に柴が積まれているのを確認し愕然となった。
「師、昭、これは何かの罠だ。早く谷から出…」
 そう言いかけた瞬間だった。
 山腹から蜀漢軍が鯨波の声と共に姿を現し、小屋には火がかけられたのである。
 小屋は火だるまとなって急斜面を転がり落ち、柴に入っていた硫黄が焼け、谷の出入口は炎の壁でふさがれ、さらには火矢が降ってきた。
 司馬親子らは無言のまま呆然と立ち尽くし成すすべもなく、迫り来る炎にじりじりと体を焼かれていった。
 しばらくして火が収まってから−
 鼻をつく臭い…あちらこちらに黒い屍が転がっている。
「丞相閣下、こちらです。」
 趙雲は目の前にある黒い物体を見て絶句した。
「これがあの仲達か…。」
 一人の兵が前へ進み出た。
「はい。くっついている他の二つは息子の師、昭かと思われます。」
「こうなってしまえば無惨なものよのう…。」
 緒燕が趙雲の肩に手をかけた。
「ゆっくりしている暇はないないぞ子龍、祁山に救援に向かわねば。」
「おう!」
 こうして彼らは祁山へ向かった。


 祁山で趙雲軍が合流し、仲達死すの報が伝えられると蜀漢軍の士気は高まった。
 蜀漢兵は罵声と共に魏兵に襲いかかった。
「仲達は死んだー!」
「我らの勝ちじゃー!」
 魏兵はこれを聞いて総崩れとなり、祁山の郭淮ら諸魏将も討ち取られた。
 こうして孔明の願いは、仲達が討ち取られることにより果たされ、戦は蜀漢の大勝に終わったのである。


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