「二」 孔明の誤算
しかし、これは亡き孔明も計算外だったのか、その隙をついて涼の大南方渠帥姜維の率いる軍が成都に迫っていたのである。
これには孔明が予想できない理由があった。
まず涼では春と夏、狩猟などの一切の殺戮が禁止される。
しかし、[广龍]統(士元)(以後士元と書く)がいた時代は特例として戦が行われていたのだ。
士元が死んでからは閻象の子、閻圃が大祭酒となり、殺戮禁止の掟が守られるようになった。
だからこそ孔明はこの夏には涼からの出兵はないとふんでいたのだ。
しかし姜維は各群に分散して兵力をためていた。
そして仲達が兵を動かしたとき、姜維はその兵力と渠帥を前線基地・漢中へ集結させた。
姜維は漢中群の南鄭城に各方の渠帥達を呼び寄せた。
彼らはかつて馬超の軍閥にあった者達であり、五斗米道の信者ではなかった。
議長はもちろん渠帥の筆頭である姜維。
かつては大祭酒士元がこの席にあったのだが、いま大祭酒の位にある信者の閻圃など、彼らが議長に据えるはずがない。
大祭酒になり損ねた士元の弟、[广龍]林(山民)(以後山民と書く)あたりがいても良さそうなのだが、彼はこの作戦に反対であった。それに山民の妻は孔明の妹で、既に亡くなったとはいえ一粒種の男児も生まれており、その理由により蜀漢との戦争に反対すると思われていた。
軍議は極秘である。どこに都のお目付役が潜んでいるかもしれないのだ。
軍議に選ばれた部屋も牙城ではなく義舎の一つ…。
「都に使いしたが、出兵の許可は下りなかったようです。」
姜維は語り始めた。
「馬鹿どもが!」
馬岱は机を叩いた。
「今まで自ら出兵したことのない仲達が初めて出兵したのだぞ。しかもその軍と蜀の主力が交戦中で成都はがらあき…。これほどの好機だというのに!」
「しかしこれは計算づくのことです。」
姜維は続ける。
周りの渠帥達は静まり返っている。
「私は独断で兵を出そうと思います。」
場がざわめき始めた。
「何を驚くことがありますか。確かに我々は涼侯(張魯)の勢力に属してはいるが、五斗米道の信者ではありません。それにこの國を支えてきたのは我々ではありませんか。」
難色を示している渠帥はいなかった。
「仲達とともに攻め込めば確実に蜀は滅ぼせます。まず益州は五斗米道発祥の地です。それに蜀の祖・劉備は教母・貂綺様の仇・劉璋をかばった憎き敵です。蜀を滅ぼした後でなんとでもいいわけがききます。」
大東方渠帥[广龍]悳(令明)(以後令明と書く)はうなった。
「しかし…。」
「どうなされました令明殿。」
「たとえ蜀を滅ぼせたとしても益州全土を我が勢力下におくことができるだろうか。」
大西方馬岱も立ち上がる。
「そうだ。魏との共同作戦となるのだから、益州を二分することとなるだろう。」
姜維は笑みを浮かべた。
「土地は取ってしまった者の勝ちです。まず我々が成都をいただきます。蜀の残兵の征討は魏軍に任せましょう。我々の兵力で益州全土を手に入れるというのは無理でしょう。」
馬岱が立ち上がり言った。
「そんなことはない!疲弊しきった魏軍を討ち、益州全土を手に入れることは可能なはずだ。」
姜維は落ち着いていた。
「それで?そのあのどうなさいます。鬼民軍(信者で編成された軍)までかり出せば維持も可能かもしれませんが、我々だけで益州全土の維持は不可能でありましょう。」
「ならばかり出せばよいではないか。」
馬岱は引き下がらない。
姜維は目を閉じ馬岱の話を聞いていた。
そして馬岱が黙ると
「確かにそうすればこの教国は魏や呉、いや成にも対抗できる大国になるでありましょう。」
姜維は一旦口を閉じ、他の渠帥達を見渡した。
「しかし今回の出征の目的は我々独自の勢力を作ること。」
他の渠帥達は顔を見合わせた。
「おお…。」
馬承は歓声を上げた。
「今は成都だけで十分です。いずれ益州全土は我々が頂きます。」
「ううむ。」
馬岱は考え込んでしまった。
−それではあまりにも弱気ではないか。
「五斗米道の領地ではありません。我々だけの領地が手にはいるのです。」
「さすがは姜渠帥。そこまでお考えでしたか。」
馬承は再び歓声を上げた。
令明は姜維に
「私も姜渠帥の策に賛同する。威侯閣下(馬超)もそれを望んでおられるでしょう。」
馬超の名を出されると馬岱も黙るしかなかった。
しかし馬岱は納得がいかなかった。
−馬承の小僧め…。これではまるで姜維が西涼軍の盟主のようではないか。
馬承は最後に言った。
「果たして成都に我らに歯向かえるほどの者が残っておりますかな。」
「ははははは…」
一同は大いに笑った。
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