絆の青空.episodeα


 うだるようにに暑い夏のある日の昼休みのこと、校舎裏で美幸が歩いているのを見かけた。
 食堂にやかんを返しに言った帰りだろうが、何でこんな人気のないところを通るんだろう?
 そんな疑問が頭をかすめたが、せっかく人気のないところを美幸が歩いてるんだから、驚かしてやろう。
 そう思ったのが、今回の事件の始まりだった。
 そうっと気配を悟られないように忍び足で徐々に美幸の背後に忍び寄る。
 近づいて解ったが、美幸はときどききょろきょろ辺りを見回したりして、そわそわしてなんだか落ち着かない様子だ。
 もしかして俺の登場が既に予想されてる?
 そうなるとますます気を抜けない。
 慎重に慎重に後ろから忍び寄り……
「だ〜れだ!」
 そう言って背後から抱きすくめるように彼女の両胸を両掌で覆う。
 美幸は敏感に反応し、俺の手から逃れ、校舎を背にし、顔を赤らめ、自分の両胸をガードしてそっと視線を上げて加害者の顔を確認する。
「総……悟?」
 安堵したように彼女は息をついた。
 なんというか、あまりにもらしくない反応だ。
 普段ならばそのまま頭を後ろに振って狙ったように後頭部を人中にヒットさせるか、肘鉄で狙ったように鳩尾を突いてくるか、かかと後ろにを振って狙ったようにすねの泣き所に入れる。
 これらの上中下のどの攻撃でもなく、まるで今初めていたずらされて恥じらう少女のようだ。
 いや、それより気になるのは……。
 俺は自分の掌を見下ろす。
 なんださっきの生々しい胸の感触は。
 それにポッチリも直に手に当たっていたような……。
「美幸……オマエまさか、ノーブ……」
 いいかけたが、美幸に口を押さえられ、体勢を入れ替えられて校舎に体を押しつけられる。
「よけーなことは言わないの」
 美幸の鋭い視線に晒され、口を押さえつけられたままこくこくと頷く俺。
 ガードが半分になった美幸の胸元に目をやると、手でポッチリは隠しているものの、やはり汗で胸の肌の張り付いた肌色が部分的に透けている。
「あんまり見ないでよ……もう」
 俺の視線に気付いた美幸が俺の口から手を離し、制服のブラウスの生地を伸ばして、肌に出来るだけ張り付かないようにする。
「何でそんなことになったんだよ」
 夏服には上着がなく、ブラウスの生地も薄い。
 まあ下着をつけずに直に着ればこうなるわなあ。
「今日、一時間目水泳だったでしょ。それで最初から下に着て来ちゃったのよ」
 普段は見ることの出来ない恥じらう美幸の姿が妙に艶めかしい。
「それで、替えの下着を忘れたと」
 美幸は恥ずかしそうに小さく頷いて肯定した。
「え、じゃあまさか下も履いてないのか?」
 思わず美幸のスカートに目をやる。
「ちょ、ちょっと直接的な表現はやめてよっ、誰かが聞いてたらどうすんの?」
 そう言いつつ、俺のこめかみを押さえて自分と視線を合わさせる美幸。
 また視線が下がったことがばれたようだ。
 俺の視線移動はそんなに露骨なのだろうか。
「下に体操着を着ればいいじゃねーか。上下の問題が同時解決するぞ?」
 視線を合わせたまま至近距離で喋る俺。
「今の時期、体育はずっと水泳でしょ?だから洗濯のために持って帰ってるのよ」
 美幸もその体勢のまま答える。
「じゃあ教室でじっとしてるのが得策だな。今日は移動教室もないし、クーラーがきいてるから上は汗で透けないし、下手に動き回らなければ揺れないし、突風もないから下も捲れない」
 お互いの息がかかる距離である。
「言ってることが正しいのは解るけど、よく真顔でそんなこと言えるわね」
 さっきはいつもと違う美幸の態度に少々心乱されたが、今更こんなことで緊張する仲じゃない。
「相手がオマエだからな」
 よやく俺の顔から手を離す美幸。
「良い意味に受け取っておくわ」
 こうして俺達は校舎に戻るべく歩き始める。
「じゃ、家に帰るまでサポートよろしくね」
 当然のように美幸は言って、
「ああ、それにしても、午前中隣の席にいて全然気付かなかったぞ」
 当然のように俺が引き受ける。
「あなたがそばにいたからよ。何かあっても庇ってくれるでしょ?」
 振り向くと美幸が俺にはにかんだ笑顔を向けていた。
「そんなことを言うならもっと早く俺を頼れば良かったのに。やかんも俺に返させればよかったんだ」
 俺を頼ってくれなかったのは事実ちょっと寂しかった。
「誰にもばれないに越したことはないと思ったのよ。それにアンタにばらしたら、絶対チャカすかイタズラするでしょ?」
 信用されてねぇな。
「俺がそんなことすると思うか?」
 美幸が膨れっ面で俺を睨みつける。
「アンタ、さっきの自分が何やったかもう忘れたの?」
 ………
 こうして、午後の授業が始まった。
 幸い、俺達の席は隣同士で固定されているため、サポートは大変しやすかった。
 とはいえサポートらしきサポートなど一切必要なく、俺の予想通り、教室に座りっぱなしで授業を受けている限り、危険はないのである。
五時間目の葉月先生の保健体育も、六時間目文月の古文も何の障害もなかった。
 強いて言えば五時間目に性器の話をしているときに教科書の図ではなく、美幸のスカートを凝視して、美幸に手の甲をシャーペンで刺されたこと。
 六時間目に美幸が指名されて立ち上がった反動で落とした消しゴムを俺が拾って美幸のスカートの中を見上げようとしたら、美幸が古文の朗読をしながら俺の顔を踏みつけたことぐらいである。
 そして、六時間目のついでに文月が終礼もして教室を去った後、ようやく帰宅である。
 階段をさりげなく下から覗かれるのをガードしながら降り、下駄箱で靴を履き替える美幸を後ろからガード、そして学校を出る。
 ここからが一番危険になる。
 言うまでもなく、こんな日はとっとと帰ってしまうにこしたことはない。
 しかし、揺れてしまうのを防ぐため、走って帰ることは出来ない。
ゆえに、暑さ・風を警戒しつつ、歩いて帰らなければならないのだ。
 美幸は肌にブラウスが張り付くのを防ぐため、片手で胸元を時々パタパタとし、もう片方の手でスカートを押さえている。
 俺は美幸と自分の二人分の鞄を持ちつつ、周囲を警戒する。
 何だか俺が美幸の舎弟のような格好だが、体裁に構っている状況ではないのだ。
 しかし学校から離れ、同じ学校の生徒もまばらになると、ようやく緊張もほぐれてくる。
 辺りにあまり人がいなくなると、俺達には会話をするゆとりすら生まれ始めた。
「さぁて、睦月美幸嬢はこの如月総悟サマによる大恩をどのように返すつもりなのかな?」
 美幸は仕方ないなあと息をつき、
「じゃあ一つだけ我が儘聞いてあげる」
 俺はしばらく考えるそぶりをして
「今日みんなに見られないように守り通したものを俺にだけ見せろ」
 ぷぅっと膨れる美幸。
「またそういうこと言う〜……」
 美幸が立ち止まった。
 いつの間にやらもう家の前まで来ていたようだ。
「じゃあ……明日からも俺の朝食を作るって言うのはどうだ?」
 美幸はきょとんとして、
「そんなことでいいの?」
 俺は目を閉じる。
「ただし、一生ずっとだ」
 俺は再び目を開いた。
「それって……」
 美幸は口に手を当てて、瞳を潤ませている。
「さ、どっちがいい?」
 俺の試すような視線に美幸は口手を添え
「あたしはずっと総悟の……」
 ひゅう
 そう言いかけたときだった。
 彼女もとっさにスカートを押さえたものの、文字通り風のイタズラは
「み、見たでしょ」
 赤くなりながら、涙目で俺を上目遣いに睨み付ける。
「な、何を?」
 彼女に片方の選択肢を強制してしまったのだ。
「嘘よ、じゃあ何で赤くなってるのよぉ、あたしの目を見て答えてよ〜」
 美幸が俺につかみかかってくる。
「総悟のバカ、えっちぃ!」
 俺の胸をポカポカと叩く手を急に止めると、美幸は思いだしたように辺りを見回した。
「総悟……だけだよね」
 彼女の攻撃をガードしながら
「……のハズだが」
 未だに恥ずかしくて俺は美幸を正視できない。
「じゃあ……しょうがないか。そのかわり、責任はちゃんととってもらいますからね」
 そう言って今日一番の笑顔で美幸は自分の家の門をくぐった。
「じゃ、また明日ね〜」
 玄関から手を振る美幸に俺も上の空で手を振って答え、
「責任って……?」
 このときからだった。
 美幸をこれまでの様ないて当たり前の妹や姉や母の様な家族ではなく、恋愛対象となる一人の女の子として意識するようになったのは。
 別に美幸のスカートの中身に欲情したからじゃないからな。
  
Fin


戻る