「 四 」初陣(弐)


 劉甚らは成都の残兵を綿竹関に駐屯させた。
綿竹関は成都に守る関の中でも最大の関である。
 その中の蜀漢陣営で軍議が行われていた。
 将は皆机を囲んで座り、上座の劉甚の横で実戦経験のある諸葛瞻が一人立ち、軍議を取り仕切っている。
 軍議は諸葛京と張遵の論争から始まった。
 諸葛京がまず言った。
「ここは籠城するのが上策と考えられます。」
 短気な張遵は机を叩いた。
「なんと臆病な!ここは一気に討って出て敵の出鼻をくじくべきだ。」
 諸葛京がなだめる。
「感情に支配されてはなりませぬ。敵はあの姜維ですぞ?ここは丞相閣下率いる軍が引き返してくるまで、この綿竹関を死守し時間を稼ぐのがよいと申し上げておるのです。」
 張遵はさらに言った。
「だからそれは敵も予測しているはず。だからこそ我々はその裏をかいて討ってで、奇襲戦法で相手の士気を下げておこうと言っておるのだ。」
 諸葛京が口を挟んだ。
「先程申し上げたはずです。相手はあの姜維です。…」
 張遵は諸葛京の言葉を遮って
「姜維がなんだ!こうなれば俺一人でも討って出てやる。」
 その時、淡々と聞いていた諸葛瞻が語り始めた。
「かつて我が父・亮も言っておりました。姜維はこちらが裏をかいたと思ってもその更に裏をかいてくる武将だと。更に姜維以外の馬岱・[广龍]悳・馬承も皆初陣の張殿より経験豊富な武将です。初陣がほとんどの我々が、そんな姜維らの裏をかけると思っておいでですか。」
 張遵は何も言い返せなかった。
 諸葛瞻は続ける。
「それに我々の役目は丞相閣下が引き返してくるまで時間を稼ぐこと。姜維を撃破する事ではございません。」
 彼も一時は出撃することを考えた。だがほとんどの兵が初陣である。しかも唯一の経験者である者が本来は武官でない諸葛瞻なのだ。それでは姜維には勝てるはずがない。
 このとき劉甚が初めて口を開いた。
「諸葛瞻、では近日中に趙雲が戻ってくるという保証があるのか。」
 諸葛瞻は驚いた。
 最初の瞬間、諸葛瞻は動揺を隠しながら誰が今の一言を言い放ったのか確認していた。
 そしてそれが劉甚だと確認するや、小さな怒りがこみ上げてきた。
 なぜなら劉甚はたった今諸葛瞻が言ってはならないと考えていた一言を言ったからである。
 −この軍議には諸将の士気の高低がかかっているのだ。それを総大将自ら下げてどうするというのだ。しかもこれは軍事中心人物である丞相閣下への冒涜でもある。丞相閣下が戻ってきたならこの言葉は丞相閣下の耳にはいるだろう。いくら公子とはいえただではすまぬのではないか?
 劉甚は続ける。
「こちらも言わせてもらえば趙雲の方こそ相手はあの司馬懿だ。趙雲が司馬懿相手に近日中に帰ってくるというのは難しいと思うが。」
 諸葛瞻配下の六人の見習い達、李厳の子・李豊(安国)を始めとする糜竺の子・糜威、李恢の子・李球、黄権の子・黄崇、馬謖の子・馬玉、劉巴の子・劉[合β]らも顔を見合わせた。
 −援軍は来ないのか…?
「それでは籠城など意味がないではないか。」
 呟くような声が聞こえた。
 −まずいことになった。
「しかしいつ援軍が来るのか分からないにせよ、籠城が最上の策なのです。」
「では負けたらどうする!」
 劉甚は吠えた。
「趙雲が負け、司馬懿までこの綿竹関に押し寄せたらどうする。」
 成都に至るには綿竹関は絶対に通らなければならない。
「二人も相手にするようなことになったら絶望的だ…。」
 誰かの囁くような声が聞こえた。
 劉甚は続けた。
「だからこそ司馬懿まで相手をすることになる前に、今のうちに姜維だけでも片付けておかねばならぬのだ。」
 張遵は再び机を叩く。
「そうだ!今こそ出陣を!」
「そうだ、戦わなければならないのだ…。」
 見習い六人の気持ちが高揚している。
 諸葛瞻は思った。
 −これはまずい。
 諸葛瞻の四人の副将のうちの二人、法正の子・法[え貌]、馬良の子・馬斉が諸葛瞻の顔を見る。
「思遠(諸葛瞻の字)様…。」
 −そこまで言われては仕方がない…。
 諸葛瞻は劉甚を憎々しく思いながら言った。
「では殿下を総大将とし、私が参軍としてつきましょう。先陣には…。」
 劉甚はそれを遮った。
「いや、俺が先陣として出よう。」
「なんですと!総大将の殿下自ら先陣を!」
 諸葛瞻が驚嘆の声をあげた。
「この戦に負ければどうせ死ぬのだし、総大将もなにも無かろう。御辺が総大将になればよい。そなたが唯一の実戦経験者なのだ。指揮はそなたがとった方がよかろう。」
 張遵も乗った。
「ようし、俺も先陣として出るぞ。」
 諸葛瞻は血気盛んな若者二人の顔をかわるがわる見た。
「…わかりました。」
 −少々高くつくが、実戦を知らぬおぼっちゃまたちに敵の実力を認識していただこう。
 あと諸葛瞻自身は中軍、諸葛尚を右翼、諸葛京を左翼として出撃した。


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