[四]三賢再び


舞台は移ってここは益州の成都宮殿付近にある臥龍湖のほとりである。
 そこで一人の大きな老人が釣りをしていた。
 この地点は孔明の気に入りの場所で、生前はよくここで釣りをしていた。
 しかし今、釣りをしているのは孔明ではなかった。
 そこへ彼とは対照的な小柄な老人が現れた。
 大きな老人は趙子龍、小柄な老人は緒飛燕であった。
 この二人は同じ常山の真定の生まれで、幼き頃から良きライバルであり親友でもあった。
 また、五虎将軍の最後の生き残りでもある。
 この日緒燕は大事な用事があると言って、趙雲に呼び出されたのである。
「それで、何のようだ子龍。」
「飛燕、実は少しつきあってほしい。」
「貴様いつになっても浮いた噂がないので、おかしいと思っていたらそのような趣味があったのか。」
「変な勘違いをするな。忠武侯閣下に頼まれた用事があるのだ。」
「ほう、それは面白そうだな。よし、つきあおう。」
 こうして彼らは、忠武侯閣下に頼まれた仕事があるのでしばらく留守にすると蜀漢帝劉禅に言い残しごく少数の共を連れて北へ北へと進んだ。
 これはちょうど鍾会が長安を包囲した頃のことである。


一方、鍾会の策略により登親子と文淑は西へ西へと落ち延びていく内に一つの碑を見つけた。
 その碑には


   二つの火があり、ここを越えて行く人がいる。
      二人の士が功を争うが、久しからずしてどちらも死ぬだろう。


 と書かれていた。
 それを見て登艾は二人の士というのが自分の字の士載と鍾会の字の士季を指しているのにきずき、膝と手をついて
「このような…すばらしい…方に師事が…したかった…。」
 と嘆いた。
「それは忠武侯閣下が書かれたものだ。」
 と登艾の背後から声がした。
 するとすかさず文淑が声の方向に向かって槍をかまえた。
 なんとそこに現れたるは趙子龍と緒飛燕とそのつれの者達だった。
 しかし登艾はそれが分からず、
「何の用だ。」
 と敵意を込めて言いつつむくりと起きあがった。
「私は趙雲。貴公に渡す物がある。」
 趙雲と聞いて登艾の表情が変わった。
 −趙雲…我が恩師仲達の仇!
 しかし趙雲には殺気はなく、隙だらけで登艾は逆に仕掛ける時期を見失った。
 そんな中、趙雲は懐から錦嚢を取り出し、登艾に向かって放り投げた。
「それは忠武侯閣下がお前に渡してくれと死ぬ前に私に預けた物だ。あの方は仲達が死んでからのの貴公らの行動をすべて読んでなさった…。」
 趙雲の話を聞きながら登艾は錦嚢を開いた。
 中には孔明から登艾に宛てた手紙が入っていた。


 儂は矛盧を出て以来平生学んでおったところを伝えようと思って「開府作牧」・「権制」・「南征」・「北出」・「計算」・「訓」・「綜覈」・「雑言」・「廃季平」・「法検」・「科令」・「軍令」以上一二篇からなる兵法軍略並びに治政の書を書いておいた。この中には、八務・七戒・六恐・五懼の法がある。この四つの法を読みこなし、我が物にでき人物は恥ずかしながら漢には一人も見あたらぬ。そして儂は、それができる賢者を探しており、やっと見つける事が出来た。儂の残した兵法を読めば貴公ならば必ずできる。だから成都に来て儂の後を継いでくれぬか…。


 登艾はあまりの感動で読んだきりあとの言葉が出なかった。
 そしてその内容を頭の中で繰り返し、出た結論を言葉に直した。
「私は…忠武侯閣下の…志を継ぐため…に漢へ参ります。」
「うむ。」
 趙雲がうなずいて言った。
「あの…私は…。」
 と文淑がどうすればいいのか分からずに言った。
「お前には私の後を継いでもらう。」
「はい!」
 趙雲は文淑の噂は聞いていたし、趙雲にも丁度良かったのである。
 後述するが、趙雲には絶世の美女樊氏との間に設けた双子の男子があったが、武勇に優れた上の子・趙累(統広)は関羽に気に入られ、関羽と共に荊州の守りについていたが関羽に殉じて討ち死にし、生き残った易経マニアの下の子・趙融(稚長)は樊氏のの没後、樊氏の先夫の弟である趙範の言いなりであったため将来を期待していなかったのだ。
 こうして彼らは成都に向かった。
 劉禅は登艾が孔明の遺言に従って連れてこられたのだと知って歓迎した。
 また、文淑は正式に趙雲の養子となり、姓が「趙」に改められ、趙淑となった。
 こうして漢中を中心として姜維、鍾会、登艾の三人の賢人がにらみ合う事となった。
 民衆はこの三人のことを士元、仲達、孔明と同じように三賢と呼んだ。


戻る][前へ][次へ