[八]後継者争いの結末


 緒燕は弓を持った手をだらんとたらしてため息を一度ついた後
「それにしても劉甚様の戦略は見事でしたなあ。」
 と突然劉甚を誉めだした。
「いや、私は何もし…」
 と劉甚は誤解解こうとしたが、
「いや…全く…素晴らしい」
 という登艾の声にかき消されてしまった。
 意味もわからぬまま劉甚は凱旋して城に戻った。
「士載殿、あとで私の部屋に来て頂けますか?」
 と劉甚は登艾に声をかけておいた。
登艾はその前にすべき事があった。
 謁見室では蜀漢帝劉禅が印綬を用意して待っていた。
 横には至極機嫌の悪い黄皓の顔があった。
 結局登艾は蜀漢帝劉禅から、今回の戦に対する誉め言葉と共に丞相代理に任命され、趙淑も相応の地位を与えられた。
 これにより蜀漢において、どれだけ諸葛・趙両丞相が信頼されていたか、そしてどれだけ人材が不足していたか露呈された。
 また劉禅は「蒋宛(公炎)、費韋(文緯)、董允(休昭)からよく助言を受けるよう…。」と付け足した。
 そのあと、登艾は劉甚の部屋にやってきた。
「何のご用…でしょう。」
 劉甚は寝台の上に座って待っていた。
「二−三聞きたいことがあってな。まあ座れ。」
 登艾が椅子に座ると劉甚が話し始めた。
「まず、御辺はなぜ自分の手柄を俺に譲った?」
「あの戦略…は忠武侯閣下の…残した手紙に…従ったのです。…まあ貴君に…手柄を譲った…のは私が考えた…のですけれど。…手柄を貴君に…譲ったのは…順平侯閣下(趙雲)の生前…残した貴君に…帝位を継がせるように…という言葉を…守っただけです。」
 登艾は長く話しすぎて疲れたようだ。
 少し息が荒くなっている。
「しかしもし劉濬が勝っていたらどうするつもりだったんだ?」
「文衡殿に…手柄を譲る…つもりでした。手柄を…横取りされる…ぐらいなら…大した器では…ないということ…ですからね。」
「つまり御辺は私を試したのか。」
「はい。…しかしあなたにも…間違いが一つあり…ました。」
「なに?」
「文衡殿に…先を…越された事…です。」
「あれは兄上がさきに名乗り出たので、私との差を浮き彫りにするのにちょうど良いと思い、放っておいたのだ。」
「わかって…おります。…しかし…さきほど…貴君が…言ったように…もし文衡様が…勝ったら…どうなさる…おつもり…でした…か。」
 口調は厳しくなった。
 登艾はあえいでいる。
 よほど苦しいらしい。
「…。」
「差を…つけなくとも…この戦いで勝てば…太子の座は確実…だったはずなのに…あなたは劉濬様の…出陣を傍観し…国の兵力を…無駄に浪費…されました。」
「…。」
 劉甚は返す言葉が無かった。
「御安心下さい…。今後は私が…あなたを補佐…致します。」
「御辺は今度の戦で私のことをどう思った?」
「あなたは…無鉄砲なので…誰かに制御されな…ければどこかで…無理をして討ち死に…するでしょう。」
「…。」
 劉甚の頭の中には綿竹の戦いがよみがえっていた。
 登艾は更に喉の奥から絞り出すようなかすれた声で続ける。
「しかし…あなたは…戦うことにより…人を引きつける…不思議な力を…持っています。」
「不思議な力?」
「私は…それに…かけてみる事…にしました。」
「…そうか。」
「私からも…質問させて…頂けますか?」
 登艾はしばし間を置き、息を整えてから再びきりだした。
「ああ。」
「あなたは…これから何の…ために戦われ…ますか?」
「無論、五国を統一することだ。」
「それは…祖父である…昭烈帝陛下の…目指した…漢王朝再興…のためですか?」
「いや、…戦いのない世をつくるためだ。それから俺は漢王朝再興という錦の御旗を掲げて戦うつもりはない。我が祖父劉玄徳は漢王朝の血を引く自分が正統だと言って戦った。しかし漢が栄える前は秦が正統だったのだ。即ち争いの中に正統な者は無く、勝ち残った者のみが正統。だが私はこんな世は嫌いだ。だから私がもっと平穏な世に生まれたなら私は帝位などを欲することは無かっただろう。」
「永遠に…戦いのない…世が実現すると…お思いなの…ですか?」
「いや、この世に永遠などというものはない。ただおれが五国を統一してそんな世の中になったとしたら、俺の子孫達によってそれができるだけ長く続けられたら良いと思ったのだ。私は本当は人間は傷つけ合うために生まれてきたのではないと思うのだ。そしてそのような世を作るには太子の座が必要なのだ。」
「そう…ですか…。」
 登艾は内心劉甚が皇帝になっても暴君にはならないと安堵していた。
「もう質問はないか?」
「…はい。」
「では最後に俺に質問をさせてくれ。お前はいつまで俺の味方になってくれるのだ?」
「あなたが…私の仕えるに…値する君主で…あり続ける…限りは…。」
「…わかった。よし、もう部屋に戻ってよいぞ。」
「では…。」
 そう言って登艾は部屋を出ていった。
 劉甚はごろりと寝転がって
「あなどれんやつ。」
 とつぶやいた。
その後民衆の人気は美男子・劉濬から英雄・劉甚にすっかり移ってしまい、魏延が反乱を起こした時の失態で太子派は北地王派に何の反論もできなくなってしまった。
 敬哀皇后を寵愛していたのでどちらかと言うと太子派だった劉禅もついに武官の強い要請に応じて太子を劉甚に代えることにした。
 こうしてやっと劉甚は帝位につく権利を得たのである。


戻る][前へ][次へ