[九]錦屏山の会談


戦の後、錦屏山にて趙雲の葬儀が執り行われた。
 前述したとおり、諡号は順平侯である。
 墓前には魏延の首が据えられ、実に盛大に行われた。
「紫虚上人…という男を…ご存知ですかな…太子殿下。」
 とその葬式の帰りに登艾がこう劉甚に話しかけたのである。
「聞いた事もないが…。」
「この錦屏山…に住む隠者で…人々に…平和の大切さ…人が殺し…合う事…の愚かさを…ふれ回って…いるそうです。」
「ほう…。そのような男がこの地におったか。一度会ってみたいものだ。」
「そう…おっしゃられると…思いました。…では城に戻った…ならば呼び寄せ…ましょう。」
「いや、上人と呼ばれるほどの男なのだ。こちらから出向かなければ礼に背こう。」
 こうして劉甚はほんの数人の護衛と共にその足で紫虚上人が住んでいるという小屋に向かった。
 同じ山の中とはいえ、なかなか険しいみちのりである。
 そしてやっと紫虚上人が住むという山奥の藁葺小屋に着いた。
「誰かおらぬか。」
と劉甚が言うと一人の童子が出てきて
「太子殿下いらっしゃいますね。どうぞお入り下さい。」
といった。
「なぜ私が太子だと分かった。」
そうなのだ。
 彼はここへ来るとき、葬式の帰りに直接来たのでここの者達は、劉甚が来る事を知らないはずである。
「紫虚上人様がすでに知っておられたからです。」
「!!」
「ご存知ありませんでしたか?紫虚上人様は先を見通す力を持っておられるのですよ。」
童子はまるで当たり前のように言った。
「これ、余計な事を言うでない。」
と童子の後ろから全く気配を感じとらせず現れた髪から髭まで白い毛で覆い尽くされた老人が現れた。
−こやつ、ただ者ではない。
劉甚は老人のすべてを見透かすような透き通った目を見た瞬間そう感じた。
「あなたが紫虚上人ですかな?」
「いかにも私が紫虚にございます。太子様、狭苦しいところで申し訳ないが、どうぞお上がり下さい。」
小屋の中はがらんとしていて、雨笠が掛けてある以外は何もなかった。
そこへ劉甚と紫虚上人は向き合って座った。
「先ほど童子から聞いたのですが、あなたは先を見通す力があるそうですね。ぜひ我が宮殿に卜師として来ていただけませぬか?」
と劉甚がきりだした。
「私はすでに隠居の身ゆえ遠慮致します。それよりここに来た本当の目的をお教え下さい。」
「わかりました。私はいずれ皇帝となる身。私が皇帝となった暁には五国を統一し、一刻も早く争いをなくすため戦いに赴くつもりです。これに関し意見を述べていただこうと思って来た次第です。」
「率直に申し上げましょう。間違っております。」
「どう間違っておるのでしょう。」
 劉甚は自分の意見が否定されても一向に腹を立てなかった。
 この老人が平和についてどのような考えを持っているか、聞くのが楽しみだったからである。
「まず、平和のため戦うというのが矛盾しております。なぜなら平和と争いは対語だからです。つまり戦いに赴く事自体平和を乱す事となるのです。」
「しかしたとえ今が平和であっても国が分裂している以上いずれ戦いは避けられませぬ。」
「だからこれから貴君が政務に励み、富を蓄え国を大きくして他の国が攻め込めないようにし、他国と同盟を結ぶよう努めればよいのです。そうすれば平和を望む他国の民もこの国に逃げ込む事が出来、国が分裂していても平和は望む事が出来ます。」
「ではもし他国同士が争いを起こしたならどうします?」
「あなたが停戦を薦めればよいのです。それでももし収まらず、この国以外が一つとなったならば、その国に降ればよいのです。さすれば少なくともこの国は戦火を逃れます。」
 −完璧だ。
劉甚は思った。確かにこれが争いが一番少なくて済む方法である。
「ではその統一者が暴君となったらどうなさるのです。」
「ではもしあなたが五国統一を成し遂げたなら絶対に暴君にはならないと約束できますか?」
「うっ。」
劉甚はこう言われると自信をなくした。
 人の心などその場その場でどう動くか分からないからである。
「結論を申し上げます。あなたは自己満足のために周り犠牲を省みず、戦を続ける偽善者になろうとしていただけです。」
この一言がとどめとなって劉甚は果てしなく自分が堕ちて行くような幻覚にとらわれた。
「もうお城に帰られたほうがよろしいのではないでしょうか。もう日が暮れかかっております。」
「ああっ、そうだな。」
こうして劉甚は帰路についた。
 彼の肩はずっしりと重く、夕日に愚かだった自分を嘲笑されているようだった。
 彼がここまで言い負かされたのは登艾に続いて二度目だった。


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