[一]夏侯兄弟の決着


−どうしたものか…。
鍾会は涼の前線基地漢中郡を如何にしておとしめるか考えている。
今、漢中には前の戦で破れたとき退却の際、姜維は夏侯覇を置いて行ったのだ。
−夏侯覇は名将だ…。奴に弱点はないものか…。
「そういえば司馬都督の南征軍に参加した奴の弟、夏侯恵・夏侯和は戦死したな…ん?」
−待てよ。
「はっはっはっはっはっは…。」
鍾会は突然笑いだした。
「俺としたことがこんな事に気づかなかったとは…。」
−そしてこの討伐軍をあの男が率いれば完璧だ…。
こうして鍾会の作戦のもと西伐軍…正確に言えば南征軍が編成された。
総大将は最近発見した人材、黒き怪物王双(子全)だった。
なぜこのような新参者が兵の総大将になれたのか。
それはこの軍の兵数が少ないからである。
 そして兵数を減らしたのは鍾会が自分の策略に自信を持っているからだった。
しかし鍾会はやはり敗れた時のことも考えて参加しなかった。
こうして漢中郡南鄭城は包囲された。
「これは妙に兵数が少ないな…。」
夏侯覇は思った。
−何か裏がある。
ちなみに夏侯覇は涼に投降したのち、もといた張盛(張魯の三子)が副姦令長(張掖郡駐屯)となったので空席となっていた小西方渠帥に任じられた。
「開門ー。」
門前でよばわっている者がある。
 −降伏勧告の使者か?
「何者だ?」
 夏侯覇は兵に尋ねた。
「夏侯渠帥の弟だと言っておりますが。」
「なに?!」
城門に登ってその使者を見てみると、間違いなく唯一残った弟夏侯威だった。
夏侯覇は城門を開けて出迎えた。
「久しぶりだな季権…。今回は降伏勧告の使者として参ったのか。」
「ええ…。兄上とこんな再会をするとは思ってもみませんでした。」
「ならば降伏などするつもりはない…。帰って総大将にそう伝えろ。」
 そう言って夏侯覇が馬を返した時だった。
夏侯威が突然腰にはいていた剣を抜き放ち、実の兄に斬りかかったのだ。
 高い金属音がした。
夏侯覇は自らもとっさに剣を抜きふりむきざまに夏侯威の剣を受けとめていた。
「何のまねだ季権。」 
「あなたは知らない…。我ら残った兄弟がどれだけの屈辱を受けたかを。」
 そう言いつつ夏侯威は再び剣を振り上げた。
「あなたが降伏したとき、我々がどれだけ裏切り者の一族として辱められたか…。」
 更に大きな金属音がする。
夏侯覇は再び剣を受けとめた。
「私は初め、信じていなかった。あなたが降伏したなど…。しかし、あなたはそれを裏切った!うおおお」
 このとき、今までで最も大きな金属音がした。
「くう…」
この一撃に渾身の力が込められていたことは夏侯覇にもよく分かった。
「だから私自身の手でその裏切り者を…斬る!」
こうして夏侯威の剣撃が始まった。
夏侯覇は相変わらず受けてばかりで弟を攻撃できないでいる。
 −そういえば幼い頃、雅権と義権は部屋に篭もって兵法書ばかり読んでおったなあ。そんな二人を尻目に私はこうして季権に稽古をつけてばかりしておった。
「士季(鍾会の字)様の計算通りじゃわい。」
魏陣営では総大将王双がこの戦いを見ている。
「いくら名将夏侯覇と言えど実の弟は斬れまい…。皆の者!夏侯覇が斬られたら一斉に城内になだれ込むのだ!」
夏侯覇は夏侯威の攻撃を受けながら思った。
−お前達には俺の心が分からなかったのか…。
「ならば仕方あるまい!」
こう言って夏侯覇は夏侯威の剣をはらい、夏侯威の手から剣が離れた。
「しまった!」
夏侯覇は弟に向け、まっすぐ剣を振り上げた。
−くそう!これが戦乱の世の定めなのか…。
「うおおおおおお」
「ぐあああ」
つぎの瞬間、夏侯威の姿は頭から二つに裂けた、見るも無惨な物となっていた。
「なにい!」
魏陣営では兵達が動揺し始めた。
「夏侯将軍が斬られたぞ」
「これからどうすればいいんだ俺達は。」
その時包囲の外から鯨波の声がした。
「わあぁぁぁぁ」
「伏兵です!」
「なんだと!」
 ただでさえ兵数が少ないうえに動揺していたので魏軍は蜘蛛の子を散らすかのように四散した。
−他国の軍か?
夏侯覇に伏兵を置いた覚えはなかったが、兵装は涼独自のものだった。
 寄せてきた軍の総大将が馬で近づいてきた。
「貴公は?」
 その男は懐から手紙を取り出して言った。
「こちらをご覧下さい。大南方渠帥からの御手紙です。」
それは姜維からの紹介状だった。


一人で漢中を守るのは大変だろうから救援を送ることにする。そやつは亡き[广龍]治頭の嫡子で[广龍]宏、字は巨師。小南方渠帥で四小渠帥の筆頭だ。つまり貴公より格上なので嫌だろうがそやつの指示に従ってくれ。それから若いからといってあなどるな、そやつは幼き頃から兵法を学んでおり、そうとう兵法に通じるようになっておるからな。


「宏か…なんと俗な名だ…しかし巨師という字はいいな。」
 渠帥と巨師は当時発音が同じである。
 つまり字において彼はすでに渠帥なのだ。
 姜維が彼を派遣したのはやはり夏侯覇が新参者であるが故に裏切るかも知れないということを考えてであろう。
 つまり夏侯覇が漢中の姦令でない以上、漢中郡の兵権は夏侯覇から巨師に移ったのである。


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