[五]知略戦
一方蜀漢の北伐軍はついに漢中郡に到着していた。
「おそらく…南鄭城の米賊軍は…そう簡単には…打って出ては…来ないでしょう…。」
登艾が陣中で言った。
「何故だ?」
劉甚が言う。
劉甚は一応総大将なので中央に座っている。
「この季節…米賊の間では…殺戮が禁じ…られている…からです…。だから…できるだけ…争いは…避ける…はずです。」
しばらく陣中に重い空気が流れた。
「新興王殿下は…どう…思われます。」
登艾が早速劉恂を試そうと尋ねた。
他の将軍達が苦い表情を浮かべた。
−今回が初陣となる新興王殿下に尋ねるには余りにも気の毒ではないか…。それとも丞相代理閣下は殿下に恥をかかせたいのか。
「一度私に兵をお貸し下さい。失敗しても兵を損ずる事はございませんから。」
劉甚が言った。
「いいだろう。やってみよ。」
しかし劉恂と勝負している劉甚としては成功して欲しくないだろう。
劉恂は兵達に指示を与え始めた。
何らかの陣を作っているようである。
そして陣が完成した。
「この陣形は…。」
登艾は驚きの表情と共に絶句している。
「[广龍]渠帥!蜀軍が城外に陣の様な物を敷いております。」
兵が巨師に報告した。
「陣か…。面白い見てくれよう。」
巨師は楼台に登った。
それを見て劉恂は大声で呼ばわった。
「小南方渠帥巨師と見受ける!この陣形が何だか分かりますかな?」
巨師はしばらくその陣を眺めた。
「『八卦の陣』であろう。」
「知っておいでか。だが破れますかな?」
「私も見くびられたものだな…。よかろう。破ってやろうではないか。」
「[广龍]渠帥。できるだけ避けられる争いは避けた方がようございます。」
こう言ったのは小西方渠帥夏侯覇だった。
自ら討って出る事は五斗米道の教えに背く事になる。
しかし巨師はそんな言葉を耳にも留めず夏侯覇に言った。
「馬鹿者。御辺は私の父の名を汚したいのかっ!よいか夏侯渠帥。今奴が敷いている陣は『八卦の陣』といって休・生・傷・杜・景・死・驚・開の八門から成っておる。この八門を破るのは困難ではあるが決してできぬことはない。まずは真東の生門から攻め込み、西南の休門に斬り込む。斬り込むや否や方角を一転して真北の開門めがけて殺到するのじゃ。そうすれば、破れる!」
「破れる」にだけ妙に力が篭もっていた。
「では私が城を護っておりますから…。」
巨師の副将の馬[禺隹]が言った。
「何を寝ぼけた事を言っている夏侯渠帥。御辺が行くのじゃぞ。」
「わっ私ですか?」
−そうでしたそうでした。私は貴公より格下の方でしたね。ああ、まったく何が悲しくてこんな若造の言う事を聞かねばならんのだ。自分でやれば良い物を…。
夏侯覇は頭の中でぼやきながらも門を出た。
そして巨師に言われた通り劉恂の敷いた陣の真東から攻め込んだ。
ところが攻め込んだは良かったが、攻め込むなり刀槍が隙間無き陣形で殺到してきた。
それにより夏侯覇は相当な苦戦を強いられ、しまいには方角も分からなくなっていった。
「なぜだ!どうなっておるのだ!」
自分の計算違いとなって巨師は混乱している。
その声が余りにも大きかった為、他の兵達が戦いを見ようと南門側に集まってきた。
そのため兵の注意がそれ城内の守備体制が乱れた。
しかし巨師は陣を何故破れないのかで頭が一杯でそこまで気が回っていない。
一方蜀漢陣営では登艾や他の将軍達が打ったもう一つの手が成功するか巨師に目をやっている。
しかし総大将劉甚だけは目の前の戦いをじっと見ている。
−何だあの兵は!
その頃南鄭城北門では異変が起きていた。
兵の注意が反れた隙を突いて張遵率いる軍が城壁を乗り越え侵入してきていたのだった。
いわゆる「声東撃西の計」である。
「[广龍]渠帥、大変です。北門から蜀軍が侵入してきました。馬[禺隹]様はすでに捕らわれております。」
兵の報告を聞いて巨師はやっと我に返った。
「何だと!」
しかし時すでに遅し。
巨師は張遵軍により生け捕りにされ、南鄭城は蜀漢に占領されたのだった。
夏侯覇はそんなことになっているとは全く知らず、劉恂の陣中で苦戦していた。
そしてその陣形以上に苦戦していたのが目の前にいる一兵であった。
その兵は二つの環刀を両手に持ち、びゅんびゅん振り回して一振りで二人ぐらいの割合でどんどん味方の兵を斬り殺していった。
人を斬る度に刀の背に付いている輪がしゃらんしゃらんと音を立てた。
−なぜ一介の名もない歩兵にこんな強者がおるのだ!
夏侯覇が思った。
しかしそれは蜀漢陣営の劉甚も考えていた事だった。
「その兵を囲んで討て!」
夏侯覇がこう命令を下すと五人ほどの兵が一斉に刀を振り上げその兵に襲いかかった。
−あの兵がいくら強くてもこれまでか…。
劉甚がそう思った時だった。
その兵は両手の大刀の刃を横に向けて真横に向け飛び上がって体を竹蜻蛉の如く旋回させたのである。
それにより周りの五人ほどの兵の胴は二つに別れた。
劉甚は思わず立ち上がった。
夏侯覇も肝を潰した。
その兵はそれで少し目を回したようで、剣打は鈍ったが確実に少しずつ夏侯覇に近づいて行った。
−このままでは殺られる!
「退けぇぇー。」
そう言うなり夏侯覇は一目散に逃げだした。
夏侯覇が門が開かれるとすぐ逃げ込んだ。
すると目の前には張遵率いる弓部隊がいた。
「撃てぇぇ。」
の一声と共に一斉に弓が放たれ、夏侯覇は悲鳴を上げる間もなく馬と共に針鼠のように矢が刺さって絶命した。
蜀漢の諸将はこうして南鄭城に入城した。
彼らはこの時初めて五斗米道の義舎という施設の存在を知った。
ただで飲み食いの出来る宿泊所である。
登艾は思った。
−この様な施設があったのだから人口が多くなり、細作も帰ってこなかったのも頷ける。
この義舎により、蜀漢軍はいくらかの兵糧補給をすることができた。
蜀漢陣営では登艾が劉恂を賞賛していた。
「全く素晴ら…しい初陣…でした新興王…殿下。」
「いや、誉められるほどの事ではありません。ああいう若者は自分の知識を周りに見せびらかそうとするものです。それを逆に利用しただけですから。」
劉恂がこう言い切ったのには訳があった。
劉恂にとって腑に落ちない事があったのだ。
−なぜ夏侯覇はあそこで退却したのだ…。
劉恂の計算では夏侯覇はあのまま陣中で捕まるはずだったのだ。
−お前も同じ様なものだろうが。
などと考えながら登艾は尋ねた。
「ところで…あの陣形は…どこで覚えら…れたのですか?」
「ああ、あれか。あれは亡き孔明から直に教わったものだ。」
−なるほど…。こ奴は忠武侯閣下から直に兵法を教わったという訳か。
登艾があの陣形に見覚えが有ったのは孔明が登艾に書き残した八務・七戒・六恐・五懼の法に載っていたからであった。
登艾は既にそれを読破しており、あれがただの「八卦の陣」ではなく、孔明が改良を施した物であるという事は知っていた。
−面白い…。
登艾の心の中で対抗心という名の炎が沸々と燃え上がった。
一方劉甚は夏侯覇を退けた兵に声を掛けていた。
「御辺の活躍見事であったぞ。」
「お誉めの言葉など、もったいのうございます。」
「はっはっは。謙遜する事はない。それより古参兵のようだが…。」
「はい。昭烈帝陛下が豫州にいらっしゃいました頃、軍に志願致しました。」
「して、名は?」
「陳到、字は叔至と申します。」
「そうか。覚えておこう。」
「もったいのうございます。」
「それはいいからもう行け。」
「かしこまりました。」
陳到が行った後、
「やれやれ、あそこまで礼儀正しいとこっちが応対に困るわい…。」
と言いつつ陣の方を振り返ると「恐れ入ったか」と言わんばかりの見下し笑いを浮かべて劉恂がこちらを見ていた。
−自分の計算を狂わせたのがさっき俺と話していた兵だとも知らずに…。
と思い、劉甚は含み笑いで返してやった。
−それにしてもあの兵、顔がなぜか気に入らない…。誰かに似ている…。
その後、捕縛した巨師と馬[禺隹]の処置を考えることになった。
「さっさと殺せ!」
彼らは捕まってからこう叫びっぱなしだった。
「降伏する気はないのか。」
と関興が尋ねても
「今更父の名を汚せるか!」
と言って聞かない。
これは一見立派な態度に見えるが自分の家柄の名の事を考え、大人の真似をしているのに過ぎない。
こうして二人は首を跳ねられ、南鄭城は完全に陥落した。
しかし劉甚、劉恂、登艾の間には複雑に感情が交錯していた。
[補足説明5]
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