[六]陳倉攻城戦


「この先の要地陳倉に米賊の大東方渠帥令明、小東方渠帥仲明親子が城を築き、立て篭もっていると言う情報がただ今入りました。」
という兵の報告が漢中から北へ向かう途中入った。
−これは計算外…。令明がまだ生きていたとは…。
登艾は思った。
令明と言えば涼では姜維に継ぐ名将なのだ。
登艾は令明が馬超の代から仕えているのでもう死んでいると思っていたのである。
−あの令明を…。しかも攻城戦で破るとなると至難中の至難…。天水・南安・安定の三郡が降らなかったのもうなずける。今度ばかりは私が実力を発揮せねばなるまい。
「今回も私にお任せ頂けますか。」
 また劉恂が言った。
今度の将軍達の反応は前と違い、冷たい物だった。
−若造が…。一度勝利したぐらいで自惚れるなよ…。令明がどれほどの者か分かっておるのか?
 と言ったところであろう。
それを任せるかどうか決める権利は総大将劉甚にあった。
劉甚が任せなければ後で劉恂に「私が手柄を立てるのが恐いのですね。」と馬鹿にされるだろう。
だから劉甚は任せるしかなかった。
そんな劉甚に対し、将軍達も少し反感を持ち始めた。
−太子殿下は何故あのような若造に二度も作戦を任されたのか…。
劉恂は兵達に攻城兵器を作らせ始めた。
将軍達は目を見張った。
見た事もない物ばかりである。
兵器ができあがると早速劉恂は攻城戦を展開した。
まず劉恂曰く「雲梯」という兵器が出てきた。
雲梯とは折り畳みの梯子車の様な物で、折り畳みでない「搭天車」よりも大きな城に対して使える。
また雲梯の上部の梯子の根元に結わえてある縄を車両の下に通し、固定する事により車の推進力も梯子を立てる際、転用出来るよう想定してある。
しかし梯子を掛けようとした城壁の上に松明を持った兵が現れ、梯子に火を着けた。
「ぬうう。『井闌』を出せ『井闌』を!」
「井闌」とは城壁にいる敵を弓で攻撃するための台のような物であり車輪が着いているので位置は多少移動出来た。
これは城壁の兵と矢の打ち合いになった。
井闌は本来城壁を登ろうとしている味方を援護する物であった。
だからそのあいだに雲梯で侵入を試みたが、雲梯一台焼くのには兵一人で十分なので矢の隙を塗って簡単に雲梯は焼かれ、井闌は効果がなかった。
「ならばこれはどうだ。次は『衝車』を出せ!」
「衝車」とは先端に鉄を装甲した鎚を振り子のように動かし城門を破壊する兵器。
要するに寺の鐘を叩く棒の先端に鉄の大きな針を付けたような物である。
衝車は好調に城門に向かって行った。
しかし城門の前まで来ると訳の分からぬうちに上から押し潰されたのである。
 潰れた衝車の周りには赤い血の海が出来、それもすぐ地に吸われていった。
「なにい?」
臼である。
臼を城門の上から落としているのだ。
しかも井闌で攻撃しようとしても兵は臼を落とすまで臼を盾にするので攻撃が出来ないのである。
 劉恂は地下道を掘って城門を越える方法も試みたが城内で塹壕を掘られ、水を流されて無駄に終わった。
「ぬうう…。」
劉恂は頭を抱え込んでいる。
この様子は漢中で見た巨師の様子と全く変わらない。
−孔明に教わった通りにしているのに何故城は落ちぬのだ…。
今戦場でまともに動いているのは井闌だけである。
しかしこのままでは兵を消耗するだけで城に侵入はできない。
「一旦…井闌をお下げ…下さい殿下。」
そう劉恂に声を掛けたのは登艾だった。
「下がれー」
こうしてもう一度作戦会議があった。
 すると今度は登艾が
「私にお任せ…頂けますか?」
と名乗り出、作戦を任せられた。
「井闌の上に…『巣車』の小屋…を組立てい。」
まず登艾はこう指令を与えた。
「巣車」とは偵察用の兵器で、兵を乗せたゴンドラを滑車を利用して引っ張り上げる物である。
当然持ち上げる小屋には人が顔を出せるくらいの窓しかなかった。
この車を「望楼車」と呼ぶ事にする。
と言うか偵察用で、台が始めから下に付いている望楼車と言う兵器が別にあるのである。
登艾も望楼車が有ればそれを使ったろうが無いので巣車の小屋と井闌で代用したのであった。
次には登艾独自で作り出したという「土運車」という兵器がいくつも出てきた。
この兵器は孔明の「流馬」をヒントに作り出された物で、木製の篭のような物に車輪が二つと手摺が付いているだけ物なので、前後に倒す事が出来る。
それで城門前まで土を運んで来てどんどん落としていく…。
どうやら登艾は土を積んでそれで階段を作り城門を越える気らしい。
時間は掛かるが確実な方法ではある。
それに対し城門の兵は「長斧」で攻撃してきた。
「長斧」とは読んで字の如し、長い斧である。
それに対し望楼車の窓一つ一つから十本ずつの鋭い鉄矢が同時に放たれた。
長斧を下に向けて振り回していた兵達は矢を突き立てられ、長斧ごと城壁の外に落ちた。
「ひけぇぇ。」
 城壁の上で兵の指揮をしていた仲明が言った。
 −連弩!?しかし何故十本も同時に?
劉恂は思った。
−忠武侯閣下の考案した「元戎」は予想以上の威力だなぁ。
登艾は思った。
連弩は古くは「墨子」に名の見える兵器でハンドル一往復で二本の矢が発射されるスグレ物である。
「元戎」とは孔明が連弩を一度で十本矢が出るように改良したものだった。
それからなぜ狭い窓から狙いが定められたかと言うと、先に照準を合わしておいてそこで固定して矢を放ったからである。
これで矢を使って土を積む邪魔をしようとしても射程距離の城壁の前には望楼車が控えている。
このあとしばらくの間沈黙の中、土を積む作業が続いた。
そんな中、土を積む作業は黙々と続けられている。
「父上!どうすれば良いのです。」
令明は城壁近くに設けられた陣で令明に尋ねている。
 令明は横になっている。
 彼の体は病魔にむしばまれ、もうしゃべっているのがやっとだったのだ。
「『狼牙拍』を使え…。」
令明の口の横にさらに深くしわが刻み込まれた。
「はい。」
仲明は城壁に戻って行った。
 土運車で土を運んでいる途中突然上から一枚のいたが落ちてきて、兵の一人が下敷きになった。
よく見るとその板は城門から縄でつながっており、その兵にぶつかった後引き上げられて行った。
その板にぶつかった兵は板と接した部分にたくさんの穴が開いており、そこから血を噴き出していた。
−狼牙拍か…。
「作業…一時中断!」
登艾の指示と共に作業が止まった。
 登艾は爪をかんだ。
 別に対応策がなかった訳ではない。
 ただ吃音故に、すらすらとしゃべれず、犠牲者を増やした自分自身に苛立ちを感じたのだ。
狼牙拍は敵兵が城門の影から投げているので望楼車で攻撃もできない。
「そこの兵、三−四人は敵が落とした長斧を拾い、狼牙拍の縄を切断せよ。」
長斧を上向きに持ち上げるのはさすがに苦しいので登艾は音叉の様な物が立った台を持ってきた、それを支点して長斧を動かさせた。
敵兵は下の様子が見えていないので兵がいなくてもどんどん狼牙拍を落としてくる。
斧で狼牙拍の縄が切断されても他の狼牙拍が落ちてきてしつこかったがついにはおさまった。
品切れである。
仲明はまた父に尋ねている。
「これは最後の手だ…。これを破られては次の手はない。まあ、おそらく破れんだろうが…。籍車を出せ。」
「はい。石や矢や丸太を落とすのですね。」
「愚か者、そんな事をしては敵の作業を手伝う事になるではないか。熱湯だ。熱湯を使え。さすれば兵に被害を及ぼす上に、土が流れる。」
「分かりました。」
次に城壁に出てきたのは木で出来た車で、城壁より木のはみ出した部分があった。
そこは下に筒抜けになっており、要するに涼軍は車の木の壁に護られながら下の兵を狙えるわけである。
しかも落としてきたのは熱湯であった。
これで数人の兵が火傷を負った上に積み上げられた土はどんどん流れていく。
「どうなするのだ登艾。」
劉恂は登艾の出方を伺っている。
「そう焦らな…いで頂きたい…。あれを持て!」
登艾の命令で先に酌の様な物が付いた長い棒が運ばれてきた。
 登艾はその酌の部分にどろりとし液体水をいれて籍車の壁にまんべんなく掛かるよう何度か掛けさせた。
「火矢を射よ。」
その指令を受け、一人の兵が籍車の壁向かって火矢を射た。
するとその一本の矢が当たった瞬間籍車の壁が燃え上がった。
 どろりとした液体は油だったのである。
そして籍車の壁が黒く焦げ、ぼろぼろになったのを見計らい、望楼車の攻撃が始まった。
元戎の矢で籍車の壁は破られ、蜀漢の土運車を邪魔する物は一切なくなった。
「こうなった上は…。」
仲明は一軍を率いて門から討って出た。
そして門を出て土運車の方を向いた時だった。
 城門の両脇から鯨波の声が上がったのである。
 蜀漢の軍は蛇の胴を引きちぎるかのように仲明の軍を突き破った。
「しまった!軍が分断された。」
 これに対し、城内の兵は敵兵に城内にはいられないよう城門を閉めた。
 こうして孤立した仲明は乱戦の中に果てた。
このあと城壁の方も涼軍は「連挺(多節棍)」などで応戦した。
 しかし…
「蜀軍に侵入されました!」
 数刻後兵が告げた。
「なにい!」
 そう言った瞬間令明は喉からせり上がってくる物を感じた。
「がはぁ」
 令明はそれを出るだけ吐き出した。
 口元を拭い、朱に染まった震える指を見てそれが血である事を確認した後、令明は血だらけになった口をしばらく抑えていたが、ついには死んでしまった。
 こうして陳倉は落ちた。
そしてこの後登艾は劉恂にこうもらしている。
「忠武侯閣下が…必ずしも…正しいとは…限りますまい。真似をする…のではなく…それを応用…できてこそ…その兵法を会得…した事になるの…ではござい…ませんか。」


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