[四]泰始の変(弐)


−英衡…。
 劉甚はまだ眠っているらしい。
 崔玲は暫く劉甚の寝顔を見続けることにした。
朝陽の中に照らし出された劉甚の寝顔は無邪気で、本当に勇猛でしられる勇太子かと思うほど子供のようだった。
 −本当にまだ子供なのかもしれない。
「んんー…。」
少し目を開きかけたが劉甚はまだ眠ったままだ。
歯の隙間からすうすうと気持ちの良さそうな寝息が聞こえる。
崔玲は意地悪な笑いを少し浮かべ、劉甚に顔を近づけていった。
「ん…。」
劉甚は少し声をあげそうだったが、崔玲が唇を重ねることで阻まれ、崔玲は劉甚の鼻をつまんだ。
崔玲は劉甚の歯をこじ開け、舌を入れた。
劉甚の苦い唾液の味が崔玲の舌を通じて伝わってくる。
−英衡は昨晩どうしてこんなことをしたのかしら…。
動きまわっていた崔玲の舌が劉甚の歯にあたった。
−英衡…歯並びが悪かったのね…。
崔玲はそっと口を離した。
劉甚の口から出た彼女の舌は粘ついた唾液の糸を引いていた。
「く…。」
 劉甚はまぶしそうに目を手で覆いながら目を開けた。
「やっと目が覚めた?」
「瑛姫?」
目が覚めると、そこには崔玲の笑顔があった。
−眩しい…。
「何でそんなにお前の肌は光っているのだ?」
崔玲は体を起こした。
「あたりまえよ。だって昨晩のために何人もの侍女が、牛乳風呂に浸かったり蜂蜜を擦り込んだりして私の肌を磨いたんですもの。」
劉甚はようやく目がしっかり開けられるようになった。
そこには彼女が生まれたままの姿で朝日を浴びる姿があった。
「そうか…昨晩のためだけにか。」
劉甚は崔玲に向かって両手をさしのべた。
崔玲は勢いよく劉甚の胸に飛び込んだ。
初めて愛しい男…劉甚の胸に抱かれ、彼の腕の中で目覚めたということを実感し、崔玲はこみ上げる愛しさに衝きあげられて、思わず夢中で劉甚の胸の中に顔を埋めた。
劉甚は劉甚で、未だ彼女の素肌に翻弄されていた。
彼女の肌は温かく、柔らかく、そして何だかとても懐かしいにおいがした。
−ああ瑛姫…。
劉甚はただ愛しくて必死で彼女を抱きしめた。
「太子殿下。」
いつまでも続くかと思われた時間が簡単にこの一声で止められてしまった。
劉甚は表情から不快感を隠せなかった。
「瑛姫、寝衣を着ておれ。」
「はい。」
劉甚は自分の寝衣を軽くはおると、青い天幕に向かって歩き始めた。
「何のようだ。」
「皇后陛下がお亡くなりになられました。」
「なに?」
そう言いつつ劉甚は青天幕をめくった。
その向こうに見えたものは黒装束の男とその男が持つ自分の顔に向かってくり出される短槍…。
「死ねい!」
劉甚はとっさに槍の先の方の柄を握り受け止めた。
その男は槍を短く持っていたので間合いは小さかった。
「はぁ!」
劉甚はその男の金的を蹴り上げた。
「がっ」
その男は股間を抑え、倒れこむ…。
しかし更にその後ろから二人の同じく黒装束の男達が一本ずつ剣を持って現れた。
「くっ」
劉甚は寝台の下から二本の筆架叉を取り出し応戦した。
筆架叉とは先端が三つに分かれた護身用の武器で、日本で言う十手の様なものである。
「瑛姫、星皇之剣を持って構えておれ。」
寝衣を着て星皇之剣をとろうとする崔玲に窓から襲いかかるもう一つの黒い影…。
「あっ」


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