[七]泰始の変(伍)
「この者達…本当に…張一族…か?」
登艾は思った。
−張峻はただの使いっ走りの文官でこれほどの武勇を持っているはずがない。
「丞相閣下!」
そこへ大男を倒した趙淑が駆けつけた。
改めて登艾、趙淑対もう一組の方の大男、小男の二対二の構図となった。
(登艾だけなら二人がかりで何とかなったかも知れぬが趙淑が加勢してきたとあればもはや時間がない…。)
「おのれ…見ておれよ。必ず我々が、五国を統一してくれるわ!」
その捨て台詞とともに小男は大男ともに姿を隠して行った。
−はて?誰だったのだろう。今の二人は…。
「丞相閣下ぁぁぁ」
騎馬隊の中から一人の女顔が出てくる…。
「宗預か。」
「馬を選ぶのに手間取りましてえ…」
「儂が…聞きたいのは…そんなこと…ではない。何故…奇襲があると・・思った。」
「陳叔止(陳到)から聞きまして。」
「陳叔止か…。」
−決するは今。
劉遽は劉甚の許を訪れた。
「長兄。」
「何だ。」
「私は城を出ます。」
「何故だ。」
「私が…。」
劉遽は体を起こした。
「張玉蘭を。」
劉遽の顔がみるみる赤くなっていく…。
「愛しいと思ったからです。」
「一筆書いてやろうか。」
「いりません。長兄の通れる道なら、私も通れるはずですから。」
「そうか。」
そして劉遽は張一族が幽閉されている屋敷に向かった。劉遽は公子である。皇帝劉禅の使者であると言えば顔パスなのだ。
劉遽はただ一言。
「玉蘭…来い。」
と言った。
「はい。」
と言って張玉蘭は劉遽の胸に飛び込んだのである。
−さらうようにして連れてきた張玉蘭だがこれからどこへ行けばいいのか。そうだ!峨眉山だ!峨眉山がよい!!
−彼女は私を拒まなかった…。今は馬上の眠れる美女。
張苞は宮城へむかい、無断で後宮に入り、陳到と話している蜀漢皇帝・劉禅に向かって言い放った。
「すべては私のしでかしたことです。」
この一言で張苞をはじめとする張一族全員の極刑が決定した。
ただし彼の功と彼の必死の頼みで、張遵だけは庶民に落とされるだけですんだ。
後に彼の一族は揚州の商人となるのだが、そんなことはどうでもいい。
「何故、伯父上が殺されなければならないのです」
劉甚は父・劉禅に直談判した。その時劉禅はこう答えたという。
「お前には分からぬであろうな。子をおもう親の心が。」
劉甚が初めて知らないことを言われた場面であった。
張一族や、尹宗(尹黙の子)・楊[禺頁](楊儀の子)・張表(張松の子)・陳済(陳震の子)・費立(費詩の子)の五人ら張一族派の人々の処刑の日、太子劉甚は病気と称し式場に現れなかった。
当日、太子妃崔玲は全く病気について聞いていなかったため、夫の部屋を訪れた。
妻が夫の部屋を訪れるのに問題があるはずもなく、夫の厳命でもない限り崔玲は容易に劉甚の部屋を訪れることが出来た。
「英衡!」
部屋の漆黒の闇の中を彼女の澄んだ高い声がこだまする。
目が慣れてくると寝台の上に大きな布団の膨らみがあるのが見えてくる。
「英衡…。」
崔玲は劉甚が会ってくれないことを覚悟していた。侍女に通さないように厳命していなくとも面会を自粛するべきかとも思った。
しかし…こんな時だからこそそばにいて慰めることが出来るのが妻であると彼女は思ったのである。
布団の中から小さくすすり泣く声が聞こえる。
そっと布団の膨らみの上に手を置くと
「玲!」
と布団の中から影が飛び出しその影−劉英衡は妻の胸の中に顔を埋めて恥ずかしがる様子も無く、ただひたすらに泣いた。
崔玲は夫の頭を撫でながら苦笑した。
−こんなコトだろうと思ったわ。
この時、劉甚が崔玲のことを「瑛姫」ではなく「玲」と呼んだのは夫ではなく、彼女の弟の一人として彼女に甘え、慰めて欲しかったからであろう。
彼女は妻としてきたのに夫は彼女を未だ姐として必要としていたのである。
…彼もまだまだ子供なのだ。
劉甚は心の傷も癒えぬうちに父に呼び出された。
(息子に女を取られたわい)
「陛下、頼みとは?」
劉甚は言う。
蜀漢皇帝・劉禅は言い放った。
「峨眉山に仙女が出るらしい。それを捕まえてきて欲しい。」
−幼衡、逃げろよ。
「はい。」
「下にい、下にい。」
豪快に宗預が言う。
「丞相閣下のおとおりだーい。」
騎馬隊とともに登艾が丞相府に戻る。
「わぁ、変なかっこうだ。」
大きく透き通った声だった。
登艾はすぐさま言った。
「今言った奴を呼んでこい。」
「放せ、放せ」
と言う声と共に一人の子供が連れて来られた。
登艾が言う。
「お前…名は」
「陳朗。」
「お前、…親は…いるか。」
「母様だけはいる。」
「お前、…私の孫…にならぬ…か。」
その後その少年の母を登忠の妻とし、朗という少年は登艾の孫となったのである。
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