絆の青空.


 雀の鳴き声と共に自然に目が覚める。
 体には肌に馴染んだ布団の感触があって自分が数時間かけて伝えた温もりの中に包まれている。
 もう一度目を閉じる。
 夢を見ていた。思い出したくない、そもそも自分もよく憶えていない忌まわしい過去の記憶。
 誰が言っていたのか忘れたが夢というのは目が覚めたときに良かったと思えるものらしい。
 よい夢なら「よい夢が見れて良かった」と。
 悪い夢なら「夢で良かった」と。
 しかし、俺の夢はどうやら過去自分に本当にあったことで、自分の覚えていない自分の過去の過ちを見せられているものだ。
 自分の過去の行いを考えればその程度の仕打ちには耐えるべきで、当時から自分の周りにいて自分が迷惑を掛けた人々には謝罪と恩返しをしなくてはならないと思っている。
 あの時、俺は確かに世界で最も大切な家族という輪を失った。
 だからといって、そのせいで自我を失った俺が周りに行ったことはそれを免罪符にして済まされるものではない。
 ドンドンという足音と共にもう一度目を開ける。
 足音が部屋の扉の前で止まって扉が勢いよく開かれ、そこには制服のブラウスの上からエプロンを着たいつもの幼馴染みがいつも通り立っていた。
 ぷんぷんと擬音のしそうな顔で頬を膨らませ、眉を逆立てている。
「あ、起きてるならとっとと起きてきなさいよ〜!目玉焼きもトーストも冷めちゃうでしょ!」
 そう言いつつ片手に持ったフライ返しを俺に向ける。
「りょーかい。すぐ着替えるから下で待っててくれぃ。」
 体を起こすと眠りから起床への時間がある程度あったせいか、さほど起きるのに時間は掛からなかった。
「急ぎなさいよ。もう結構時間がないんだから」
 あの日、初めて俺を部屋から連れだして以来、美幸は俺より先に学校に行ったことはない。
 つまり、俺が遅刻することは彼女も遅刻することを意味する。
 部屋を入ったところにアイロンがかけられ畳まれた制服が置いてある。また洗ってくれたようだ。
「世話になりっぱなしだな…」
 軽く息を付いたあと制服に袖を通し、ベルトを締めながら軽い足取りで階段を駆け下りる。
 ダイニングではエプロンとフライパン返しを装備したままで、左手を腰にあて、フライパン返しで自分の肩を叩きながら美幸が待っていた。
 俺が席に着き、
「おはよう総悟君、お目覚めはいかが?」
 それを確認して美幸も席に着いた。
「至って良好ですよ美幸さん」
 と笑顔でいつものやりとりを済ませる。
「あ〜もう、すっかり冷めちゃってる」
 卓上の料理を身ながらぶーたれる美幸。
「そんなに言うなら自分だけでも先に食やいいのに」
 俺が箸を取り、
「二人で食べるからいいのよ」
 それを確認して美幸も箸をとる。
「俺に気があるならそう言やいいのに」
 俺が今朝の献立を確認しながらそう言う。
「それでいいから早く食べなさい」
 そう美幸に促され、
「へいへい、いただきます」
 俺が手を合わせ、
「はい、いただきます」
 それを確認してから美幸も手を合わせた。
 美幸はなんだかんだ言っても家族を失った俺に気を使ってくれているのだろう。
 さきほどから全ての行動を俺のあとに行っているのは俺の心身を気遣ってくれてのことだ。
 現に彼女が居なければ従姉のカウンセラーも困り果てた俺がここまで調子を取り戻せなかったと思う。
 が、別に俺と美幸は付き合っているわけではなく、俺をなぜ助けここまで面倒を見たかというとその理由は
「なんとなく、ついで」
 彼女に言わせればそう言うことらしい。
 確かに、彼女も実質隣の家で一人で住んでいるから、自分のことは自分でしている。
 とはいえ、両親は健在であり、自分の会社のために世界を飛び回っているから滅多にいないだけなのだ。
 両親の会社はそれなりにデカイらしく、美幸が小さい頃には現に家政婦さんが通っていた。
 今は家政婦さんも断って自分のことは自分でやるが、昔は家政婦さんに「美幸お嬢様」とか呼ばれていた、ちょっとしたお嬢なのである。
 ……今の姿からは想像も付かないが。
 確か俺が小学生の頃のことだ。毎日庭で遊ぶ、俺と、当時は幼稚園児だった妹の瞳を隣家の窓から見つめる最近越してきたばかりの少女。
 俺が彼女を一緒に遊ばないかと誘ったのが俺達の出会いだった。
 両親と共に暮らしていない美幸にとってウチのような団欒は別世界の出来事のように見えていたらしい。
 今思えば、俺は父親という存在を最初から知らなかったが、両親が揃っていたとしても、滅多に会えないのとどちらがより不幸だったのだろうか。
 我が家の食卓に呼ばれた美幸は最初はとまどいを隠せず、話しかけられてもよそよそしかった。
 母さんのことも遠慮がちに「真優里さん」と呼んでいたものである。
 ある日のこと、美幸は母さんのことを「お母さん」と呼んでしまい、自分の口を慌てて押さえた。
 母さんは美幸に「いいのよ。お母さんでも」と言って微笑みかけた。
 すると美幸はぽろぽろと涙を流して、初めて俺達の前で感情を露わにしたのだ。
 その出来事がきっかけで、美幸はようやく我が家に馴染み、自然に笑うようになっていったのである。
 そのあと家に家政婦と二人きりだった彼女はしきりにウチに遊びに来てそのまま泊まるようになる。
 家政婦に一切家事を手伝わせてもらえなかった美幸は、俺の母に家事を習って中学生になる頃には自分のことを自分で出来るようになり、美幸は両親に頼んで家政婦を解雇してもらった。
 そもそも彼女は家政婦のことを余り好きではなかったらしい。
 その辺りは美幸の両親も話の通じる人で、その折りに一度両親二人揃って挨拶に見えたこともある。
 昔から家族ぐるみのつきあいをしてきた美幸にとっても俺の家族の死は決して他人事ではなかったはずだ。
 俺の世話をしているのはその辺りの義理もあるのではないかと俺は思っている。
 現に美幸の料理のおかげで俺は未だに母の料理の味を忘れずに済んでいるわけだし。
 それに、この食卓を囲んでいた四人は今では俺と美幸しかいないのだから。
「ほら、食べ終わったんならとっとと台所に食器を運びなさい!洗ってる時間もないんだから」
 促されて食器を運んでいる間に彼女はエプロンを脱いで、髪を縛っていたゴムを外し、制服のグレーのブレザーを羽織っていた。
 俺もブレザーを着終わると、美幸の後を追って玄関に走った。
 玄関には制靴を掃き終えた美幸が既に立っている。
「ストップ」
 俺の両肩を持って気を付けさせると、
「またネクタイ曲がってるじゃない」
 そう言って俺の紺のネクタイを正した。
「ようし、おまえのネクタイも正してやろう(うちの高校は男女共にネクタイ着用)」
 そう言って胸のふくらみに伸ばした俺の手をはたいて
「必要ないわよスケベ。バカやってないでとっとと行くわよ」
 そう言って二人で家を出る。
「せっかく成長ぶりを確かめてやろうと思ったのに…」
 美幸は溜息をついた。
「少なくともあんたが成長してないことはよくわかったわ」
 そんないつも通りの他愛ない会話をしながら早歩きで学校に二人で向かう。
 家族という輪を失った今の俺にとって美幸が今最も身近な人間であることだけは確かだ。
「ねえ、もうちょっと急いだ方が良くない?」
 しばらく歩いたあと、美幸がそう言った。
「そうか?」
 時計に目をやると現在時刻8:15。
 確かに急いだ方が良さそうだ。
「走るぞ!」
 前触れなく俺が走り出し
「えっ、ちょっと待ってよっ」
 美幸もそれに続いた。
 そして俺達は十分で正門に辿り着き、三分で教室に駆け込んだのである。
「どうやらセーフだったらしいぞ、美幸」
 扉を開け確認し、後ろで息も絶え絶えに付いてきた美幸に声をかける。
「いつも、思うんだけど、体育で、短距離も、長距離も、あたしより成績の悪い総悟が、どうして息を乱さずに、この距離をあたしより早く、走れるのよ」
 扉を解放し、美幸に道を空ける。
「火事場のバカ力?」
 扉に片手をついて持たれる汗こそかいているものの俺は結構余裕だった。
「状況なら、あたしも一緒じゃない」
 扉をくぐった美幸が恨めしげに俺を見上げる。
「精神のあり方さ。俺は死んでも遅刻したくないと思ってるけど、美幸はそうじゃないんじゃないか?」
 嘘だった。
「ねえ、テストにその精神で臨む気はないの?学科だって成績は私の方がいいけど、普段は総悟が私に教えてるぐらいじゃない」
 多分美幸も気付いてるだろうけれど。
「う〜ん、ないねぇ。何も賭けてないと。必死にならないし、得るモノがないと面白くないし」
 病気が回復してから体育も、学科も今まで本当に本気で試験に臨んだことなどない。
 体育は適当で、学科は試験前にろくに勉強しないのだ。
 これが美幸を立てていることになるかどうかは解らないが、どちらも平均以上は取っているのだから問題はないだろう。
 要は俺の気持ちの問題なのだ。
 二人で定位置の隣同士の席に鞄を置き、腰を下ろす。
 美幸が俺を学校に連れてきて以来、俺の世話係として担任の文月がこの席順にして以来、俺と美幸は席替えでもセット移動になっている。
「よっ、今日も夫婦揃ってのご登校ですか旦那」
 美幸と反対側の隣の席の長月のいつもの茶々が入る。
 昔はいちいち弁明していたが、それがかえって相手を喜ばせていることに気付いてからは
「まあな。羨ましかったら真似してみろよ」
 こんな感じでテキトーに受け流すようにしている。
 横では頬を膨らませて美幸が睨んでいた。
 俗な言い方をするとクラス公認カップルという奴だろうか。
 決してそうだと認めたわけではないが、客観的に見るとそうなっても仕方がないとは思う。
「ハイハイ、バカやってないで席につけー」
 出席簿でバンバンと教卓を叩いて、入ってきたばかりの担任の文月が出席をとり始める。
 なんとなく俺は今朝見た夢のことを思い出しながら美幸の横顔を見ていた。
 俺は一年前、母と、そして妹の瞳(まなこ)を交通事故で一度に失った。
 三人だった家族の中で俺だけが残された。
 家族の葬儀やなんやかんや終わって親族が帰った後も俺は家から出ず、呆然と仏壇の前で佇んでいた。
 その辺りの記憶はとても曖昧で、仏壇の前にいたことまでは覚えているが、どれくらいそうしていたかもよく憶えていない。
 美幸は仕事の合間を縫って葬儀に参加してくれた両親も仕事に戻った後、俺に気を使って俺に声を掛けずに一人で学校に行っていたらしい。
 しかし、法事による欠席許可日数を超えても出席してこない俺を心配し、俺の家に入った美幸が見たとき俺は空腹で意識を失っていたそうだ。
 美幸の手料理を食べて俺はようやく意識を取り戻し、美幸はその時、俺の介抱のために皆勤賞を捨てて数日学校を欠席したらしい。
 しかし、美幸に連れられて次に学校に行った俺は心に深い傷を負っていた。
 記憶は断片的にしかないが、目に映る景色はすべて色あせ、灰色の風景に見えていた。
 そしていつも心に開いた穴から冷たい風が吹き込んでくるようで、何も喋りたくなかった。
 担任の文月と校医の葉月先生が相談して二人と親交のあった俺の従姉の久留里さんを呼んでくれたけれど、俺の心は癒されず世話をしがてらによく来ていた久留里さんの足も徐々に遠のいていったらしい。
 でも、美幸は毎日俺に会いに来てくれた。ずっと俺の側にいてくれた。
 学校で俺の様子がおかしいと一緒に早退してくれたし、俺が不安定なときは俺の家に泊まってくれた。
 泣いていた俺を抱きしめてくれたこともあったし、俺が部屋に籠もって誰も入れなかったときは料理を作ってラップして部屋の前に置いてくれた。
 そんなことを経て、色彩のある風景を取り戻した俺は今こうしてまともに学校生活を営んでいる。
 だから、俺はどんなことをしても美幸にこの恩を返さなければいけないと思う。
「神無月………如月、如月、おい如月!」
 自分を呼ぶ声に気付き、自分の視界が焦点を結ぶと、意図して俺と視線をずらす美幸の顔があった。
「は、はい!」
 慌てて返事するが
「ラブシーンは休憩時間中か家でしろよ」
 文月の台詞にどっと教室が沸き上がる。
 出席で自分の名が呼ばれているのにも気付かず、俺はずっと美幸の横顔を見つめたまま考えていたようだ。
 知らぬうちにずっと俺の視線を受けていたらしい美幸が口の開閉だけで
「バカ」
 と伝え、頬を染め手下を向いてしまった。
 次の霜月から出席が再開したが、教室のざわめきは収まらない。
 出席を取り終えてHRの終わりを告げた文月が退室するなり後ろから腕が巻き付いてきた。
「お〜い、如月く〜ん。ラブラブじゃないか〜彼女と何か進展したのか〜い?」
 後ろの席の霜月だった。
「無理無理、こいつのことだからキスもしてないだろーぜ?」
 前の席の神無月も入ってくる。
 すると隣の席でガタンッと音がした。
「あれ、睦月さん。どこいくの〜?」
 長月の呼びかけを無視して美幸は足早に教室を出ていった。
 それを「美幸〜」と呼びながら弥生・卯月・皐月と言った女子達が追いかけていく。
 また保健室の葉月先生の所にでも行くのだろう。
 あ〜あ、後であやまんなきゃな。どうやら俺が悪いみたいだし。
 こうして今日は朝から頭を抱える羽目になったのである。
 あと、長月・神無月・霜月は苗字で弥生・卯月・皐月は名前である。
 それ以外は必要ない。脇役の扱いとはえてしてこんなものなのだ。


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