[二]長安争奪戦
長安の民衆は多いに混乱していた。
このあいだ、太守が入れ替わったばかりだというのに、また戦争が起こると言うのだから当たり前である。
もし軍隊が侵入してきて、その軍に統制がとれていなければ彼らが略奪を受けるかも知れないのだ。
一方、城外にはすでに登艾軍が押し寄せていた。
太守の座は夏侯覇から大西方渠帥馬岱に移っており、補佐にまだ右腕の傷が完治していない小北方渠帥馬承がつけられていた。
姜維がなぜ夏侯覇をそのまま長安に置かず馬岱を置いたかというと涼の陣営には知将が不足しており、夏侯覇の様な知勇兼備の勇将が涼のもっと重要な地点に一人でも多く欲しかったからである。
馬岱の様な猛将を長安に置いたのは長安が重要な地点だったからで勇将馬承をさらにその補佐に付けて置けば長安が陥落することはないと思ったからである。
そしてもう一つ、とりあえず信用したとはいえ、夏侯覇が再び裏切る可能性があったというのもあるだろう。
「鴦…どうすれば…いいと思う。」
魏の陣営で登艾が腹心の張前校尉文淑(正史では俶)に訪ねた。
文淑とは通称を文鴦と言い、蜀漢の将趙雲に例えられるほどの武勇の持ち主である。
「とりあえず挑発してみれば良いかと存じます。馬岱は猪武者ですから誘いに乗るでしょう。そこで私に迎え討たせて頂ければ…。」
「うむ…。」
−そうだ。馬岱ごときに複雑な策略など必要ない。
ちなみに登艾は文淑のほかに二人の将をを連れていた。
一人は彼の嫡子登忠(龍宝)、もう一人は尚書令の陳泰(玄伯)という老将であった。
陳泰は九品官人法を発明した政治家・陳羣の嫡子で文淑と同じく彼の知謀を認め、ついてきた人間であり登艾も陳泰の言に救われた部分も多くあったので自分の麾下に置いたのである。
こうして登艾・陳泰の二人は後世に「忘年の交わり」と言われるほど互いを信頼し合っていた。
忘年とは年の差を忘れるという意味である。
さて、話を戻そう。
文淑の献策により魏軍の罵声が始まった。
「臆病者!」
「馬岱、黙ってないで討って出てこい!」
さて、長安城内では
「あのようなことを言われてだまっていられるか!」
馬岱は文淑の予想どうり挑発に乗っていた。
「これは間違いなく敵の罠です!」
と馬承が諌めるのも聞かず、
「ええい、うるさい!あのような輩などわしが蹴散らしてくれるわ。」
と言い、馬承を左腕ではねのけた。
その左腕が馬承の手負いの右腕にあたり、馬承は右腕を抱えてうずくまってしまった。
「そんなに敵軍が恐いなら城内に隠れておるが良い。貴公のような臆病者が戦場に出てきたらこっちが足を引っ張られるからな。」
と怒鳴り散らし馬岱は
−あんな男が先鋒だったから先日の南征も敗北に終わったのだ…わしが先陣をきったなら…全くあのような者が同族だというだけで恥ずかしい…本当に威侯閣下の息子なのか…
などとぶつぶつ言いながら出て行ってしまった。
−もうだめだ…。
馬承はうつむいたままつぶやいた。
「者どもあとにつづけー」
と槍を持って馬岱は東門から討って出た。
それを迎え討とうと幼い顔をした一四−五歳の青年が同じように槍を持ってあらわれた。
それこそ文淑だった。
彼が文鴦などという幼名の阿鴦から取ったあだ名がついている原因はこの幼な顔にあった。
皆、彼を幼名で呼ぶため、未だ必要なしと見て、字を持たない彼である。
「西涼の人間に槍でかなうと思っているのかー!」
馬岱はいきなり槍を突きだした。
文淑はそれを難なくかわす。
馬岱は続けざまにどんどん攻撃をくり出してくる。
文淑はそれをかわしてばかりで打ち返そうとはしない。
「おらおらー、受けとめるのが精一杯か?」
「……。」
−さすが音に聞こえた名将馬岱…強い…士載様以上かも知れん…。
文淑は攻撃をかわしながら考えた。
−しかし…俺の方が…。
「強い!!」
次の瞬間閃光のごとき文淑の槍が馬岱の胃袋を貫いた。
「ぐ…う…」
馬岱はそのままもんどりうって馬から落ちる。
四大渠帥筆頭馬超が病死した後の涼の姜維、令明に次ぐ猛将の死は涼軍を浮き足立たせるには十分だった。
残った馬岱軍は壊滅した。
無論、馬岱の死は城内の兵にも衝撃を与えた。
それから半刻もしない内に馬岱の討って出た逆の西門から馬承は討って出た。
彼は馬岱が死んだときの事を考え、西の包囲が薄いことに気づき、長安を捨てる準備をしていたのである。
篭城しても脱走兵が出、兵糧も尽きるのでこの作戦が妥当であった。
しかしこれは登艾の策略であった。
馬承が包囲を突き破った直後に登艾率いる伏兵が林の中から現れた。
登艾のいわゆる「欲擒姑縦の計」に馬承はまんまとかかったのである。
「くそう!これもすべてあの猪武者馬岱のせいだ。」
多くの兵にもまれて左手だけで善戦しつつ馬承が叫んだ。
「確かに…な。」
「は?!」
驚いて振り向くとそこには若白髪が目立つ妙に老けた男…登艾がいた。
「こうなれば貴様の首だけでもとってやる!小僧、覚悟っ。」
馬承が刀を降り下ろす。
かぁんと二つの武器がぶつかる音がする。
登艾は馬承の刀を三つ又の叉で楽に受けとめた。
「くう…槍さえ使えれば…」
さすがの猛将も片手で槍を使うのは無理だった。
「ふん、…その傷どこで…転んだのだ?」
登艾が次々とくり出してくる馬承の攻撃を叉で受けとめながら言った。
「転んだのではない!やられたのだ。」
「ほう、無傷の…お前はさぞ…強かったろうに…、そんなことの…できる猛将が…蜀にはいるの…か。…誰だそいつ…は?」
「漢帝劉禅の五子劉英衡。」
「なるほど…劉英衡か…。」
「うぐっ…。」
馬承の首から血が吹き出た。
登艾の質問が終わったので、彼の叉が馬承の首を貫いたのである。
「覚えて…おこう。」
登艾が馬承の首から叉を引き抜きながらつぶやいた。
こうして長安は登艾の活躍により魏に戻った。
しかし登艾に安息する暇などなかった。
彼に大きな災いが降り懸かろうとしていたのである。
[補足説明3]
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