絆の青空.��


 学校に着いてから可奈子を職員室まで案内し、
「じゃ、お兄ちゃん、あとでね〜」
 その言葉に手を振りながら美幸と共に教室に移動する。
 通学途中、ハッスルした可奈子は俺に対して質問攻めだったが、美幸とは今に至るまで一言も会話がなかった。
 無言で入室して無言で隣同士の席に着く。
「よぉう、如月くぅん、今日は彼女ご機嫌ななめじゃないか。痴話喧嘩でもしたのかい?」
 普段は軽く受け流せる長月の茶々が頭に来るのは俺が苛立っている証拠だろう。
「まあ、相手が居ないと出来ないことだよな」
 長月はにやりと笑った。
「ひょっとして俺に相手が居ないと思ってるのか?」
 は?と言う顔で長月を見返す。
「オマエって彼女いたっけ?」
 気が付いたら前の席の神無月も後ろの席の霜月もにやにやしながらこっちを見ている。
 まさか、こいつらとっくに彼女持ちかぁ?
「はーい、席に着けー」
 駆け足で入ってきた文月が出席簿でバンバンと教卓を叩く。
 今日は美幸の手を引いて早めに家を出たが、それ以上に通学途中で時間を食ったのであまり余裕がなかったのだ。
「神無月…(ハイ)…如月…(はい)…霜月…(ハイ)…」
 と文月が出席をとる中、こいつらまさか自分はちゃんと彼女いるくせに人の恋愛沙汰にちゃちゃ入れてやがったのか?
 などと考えるとなお腹が立ってきた。
 いかん、平常心平常心。
 冷静に考えれば長月は陸上部のエーススプリンターだし、神無月は学年一の秀才、霜月はコンクール入賞常連のピアニスト。
 俺なんぞと気安く喋ってはいるが、顔が極端に悪いわけでもないし、充分なモテステータスの持ち主。
 冷静に考えれば彼女がいないと考える方が変なのだ。
 だったらそれこそ俺なんかほっときゃいいのに。
 それとも俺を嘲ってやがるのか?
「睦月……(はい)」
 その美幸の声で思い出したが、教室に入ってから結局美幸と口をきくこともなくここまできてしまった。
 まあ、俺が苛立ってる以上に美幸も怒ってるだろうし、とりあえず触らぬ神に祟りなしで行くか。
 下手に声を掛けると教室で修羅場になりかねんし。
 そして、そのまま授業が始まってしまったのである。

 キーンコーンカーンコーン……
 午前の授業終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
「んじゃここまで。『背水の陣』の後半は次の授業でやるから各自予習しとけよ〜」
 担任で古文教師の文月の声と共に背伸びをする。
 何となく右を向くことが出来ず、終始無言のまま、正直生きた心地がしなかった。
 いつも安心の源であるはずの美幸が不安の対象になるとやはり教室の景色が違って見える。
 とはいえ心配の種が尽きたわけではない。
 数時間ぶりに美幸の様子をちらりと伺う。
 黙ったまま古文の教科書とノートを鞄にしまっているところだった。
 それと入れ替わりに二つの包みを出す美幸。
 片方を自分の机に、そしてもう片方を
「……ハイ」
 …俺の机に置いた。
「美幸……」
 ふくれっ面の美幸は俺から視線を逸らしたまま
「いつもやってることだから今日もついでについでにやっただけよ。まだ和解するつもりはないからね」
 それだけを言った。
「ありがとう、いただくよ」
 そう言ったとき、一瞬だけ美幸と視線があったが美幸の方からすぐに反らした。
 この調子なら本格的に破局することはなさそうだし、帰宅までに謝って何とか仲直りしておこう。
 多分帰りは再び可奈子と一緒になるだろうし。
 そんなことを考えながら見慣れた俺専用の弁当箱の封を開けようと思ったときだった。
 −お兄ちゃんいますか?
 −え、お兄ちゃんって?
 −総悟お兄ちゃ……如月先輩です。
 −如月君の妹さんって亡くなったんじゃ…。
 −事情は後でじっくり聞きましょう…。
 教室の出入口から聞こえたこの声。
 よりにもよって弥生と…卯月?
 こめかみから一筋の汗がしたたり落ちるような錯覚に陥る。
 猛烈に嫌な予感、もはや確信に近いものがあった。
 呼ばれる前に素早く席を立って教室を出ようとしたときは既に手遅れだった。
「キッサラッギく〜ん。御指名よ〜。」
 皐月の声が教室に響き渡ったのだ。
 声楽部をなめていた。
 背後に強烈な視線を感じながら教室の出入口に向かう。
 背後では美幸がさっきの三人に質問責めにあっていた。
 美幸の返事が聞こえないことから無言で俺の背中を睨んでいる姿が背中に目がなくても見える。
 というか直接見るのが恐い。
 そのまま教室を出ると言うまでもなくそこには可奈子の姿があった。
「えへへ…ごめんねお兄ちゃん、朝はバタバタしてて渡すの忘れてたから。はい、これ私の手作り。晩のウチに作ったんだ」
 そういって四角い包みを差しだす可奈子。
「おう、サンキュー」
 出来る限りの笑顔を作ってそれを受け取った。
「あ、それともう一つ謝らなくちゃ。ほんとは一緒に食べたかったんだけど、クラスの男の子達と一緒に食べる約束しちゃったの」
 可奈子は片目をつぶって両手を手の前であわせる。
「あ、でも可奈子はお兄ちゃん一筋だからね。お兄ちゃんも浮気しちゃいやだよ〜」
 そう言いながら手を振って可奈子は廊下を走り去っていった。
 やっぱり可奈子は同年代から見ても可愛いのか。
 何と言っても久留里さんの妹だからなあ。
 それこそあと五年もすれば……。
「今のが水無月サンの妹か」
 ぎょっと振り返るとそこには文月が立っている。
「さすが水無月サンの妹、五年後が楽しみだな。今から高等部に進学したときに俺が受け持てるように動いておくか。」
 相変わらず古文の文月は頭がピンク色の軟派教師だった。
「それと、姉の方から何か言付かってないか?」
 うちのクラスは女子のレベルが高いとよく言われるが、コイツが原因なのか?
「いえ、なにも」
 とはいえコイツにも一応病の時に世話になったのだからないがしろには出来ない。
「おかしいな〜。今晩葉月先生と水無月サンと俺で今晩飲みながら旧交を温めるついでに今後のことを話し合うことになってるんだが……」
 久留里さんに会う口実を作りたかっただけのような気もするがそこはそれ。
「それから…それ、どうする気だ?」
 俺は思い出したように手の中の弁当箱を見つめた。
「もてる男は辛いね〜。気持ちは痛いほどわかる。相談ならいつでものるぞ?何なら俺が食っておこうか?」
 こいつは全部の事情を知ってやがるのか……。
「結構です」
 文月はフッと笑うと
「腹をこわすなよ〜。保健室に運ばれたら見舞いに行ってやるからな〜」
 そう言って向こうを向いたまま手を振ってその場から歩き去った。
 やっぱりさっきの推測は正しいようだ。
 受け持ちの生徒が保健室に運び込まれると言う事象も、コイツにとっては校医の葉月先生に会いに行く口実でしかないのだから。
 とりあえずここはブレザーの内側に弁当箱の包みを隠して脇で挟み、教室に戻ることにする。
「色男の凱旋だ〜」
 歓声と、拍手と、指笛で教室に迎えられる。
 屈辱の渦だ。
 何より一番の悩みの種はその中心で俯いて歪んだ笑いで俺を迎える美幸の存在。
 状況は悪化の一途を辿っている。
 もう軌道修正は無理かも知れない。
 いやマジで。
「い、いただきま〜す」
 自分で聞いても大変白々しい声で言った後、自分でも無理な笑顔と解っている笑顔で美幸のお手製弁当を開く。
 可奈子の弁当は誰にもばれないようにブレザーから机の中に滑り込ませた。
 こんなものが見つかったら何を言われるか解らない。
 クラスの面々ではなく、美幸に。
 隣の席でガタンッと音がした。
 そしてやっぱりついていこうとする弥生・卯月・皐月の三人。
「みゆ……」
 ピシャッ
 美幸の名前を呼び終わる前に教室の引き戸は凄まじい音を立てて閉められた。
 まずい、本気で怒ってる。
 今ので女連中も美幸の行き先であろう保健室に行けなくなってしまったようだ。
 誰でもとばっちりは喰らいたくないものらしい。
「ねえ、如月君。さっきの中等部の子って誰?妹さんはなくなったんじゃなかったの?」
 弥生が俺に尋ねた。
「従姉妹だよ。妹が生きてたら彼女と同じ歳だった」
 彼女は悪いことを聞いてしまったと言わんばかりの顔をする。
「そう……」
 詮索の対象を俺に移した他の卯月・皐月と言った女連中も俺に同情的になってしんみりしてしまった。
 まあこれで口をつぐんでくれるのならば幸いだ。
 沈黙の中、俺は黙々と美幸の弁当を口に運ぶ。
「誤解のないように言っておくけど、可奈子は俺にとって妹なわけでお前等や美幸が考えているような感情はない」
 手早く弁当を食べ終わり、弁当箱を包んで片づける。
「別に変な気ぃ使うことねぇぞ。もう吹っ切れてんだから」
 そのあと机の中にしまった方の包みをを再びブレザーの中に仕込んで席を立つ。
「んじゃ、購買でジュースでも飲んでくるわ」
 そう言って俺も教室を出た。
 俺が沈黙の視線を浴びながら教室を出てから教室からざわめきが聞こえてきた。
 まあ気を使うなという方が無理だろう。
 俺はそれが原因で精神を病んでいたのだから。
 変な気遣いをされるのも困るが、それもたまには役に立つと言うことか。
 これ以上変な冷やかしはされないだろう。
 さっきの言葉があいつ等から美幸の耳に入ればベストなんだがなあ。
 そして俺は昼休みも後半になって空き始めた食堂に向かった。

 午後の授業開始。
 美幸含むクラスの面々とのいらぬ悶着を避けるために、授業開始ギリギリに戻った。
 入ったのは午後一発目の保健の葉月先生とほとんど同時だった。
 美幸はもう見向いてもくれない。
 美幸とクラス連中で何らかの接触があって、いい方向へと事態が動いてくれればと淡い期待を抱いていたが、無駄だったようだ。
 窮状は自力で脱出しなければならない。
 かといって当面は手の打ちようがない。
 家では勿論、学校でも可奈子がついて回るのでは事態は今後も悪化する一方だろう。
 やっぱり俺の方から何らかの形で大きく動かないとダメのようだな。
 教壇では早速、葉月先生が前回の続きの授業を始めている。
 精子云々の話を頬を染めながら教授する美人校医の人気は留まるところを知らない。
 そんなことを抜きにしても葉月先生は綺麗なのだが。
 葉月先生と文月と久留里さんは大学時代の同級生らしい。
 中でも久留里さんと葉月先生は高校時代からの親友で、高校時代の病院見学で「人を癒せる仕事に就こう」と誓い合ったのが、久留里さんが心を、葉月先生が体を癒す仕事に就くきっかけだったとか。
 学部はちがえど同じ大学に仲良く進学したこの美人ユニットをあろう事か一人で軟派したのが文月だったらしい。
 あげく二人の所属するボランティアサークルに入ったりとキャンパスライフで二人を追っかけ回したあげく葉月先生のいる学校に赴任してきて今に至ると。
 そして学校でも可愛い女生徒を自分のクラスに集めていると。
 現に美幸とつるんでいる三人娘も、弥生は水泳部の人魚、卯月は学年一の才媛、皐月は声楽部の歌姫と言う異名を持つ学年でも有数の美少女達である。
 美幸が彼女たちに混ざっても見劣りするどころか勝っていると俺が思ってしまうのはやはり俺の贔屓目が過ぎるだろうか。
 何はともあれ、少なくとも美幸も文月の目に留まったことは確かなのだろう。
 もしかしたら俺を受け持ったのも最初から久留里さんに繋げるための布石の一つだったのかも知れない。
 この辺の暴利は噂によると文月のオヤジがこの学校の理事だか校長だかとにかく偉いさんだから通るらしい。
 ああ、どんどん苛立ちが増す。
 授業も上の空で現実逃避の思考をひたすら続けている。
 頬を汗が滴り落ちる。
 どうやら痛みを堪えるのも限界が近い。
 くっ
 俺は腹を抱えて机の上に突っ伏した。
「総悟、どうしたのよその汗。なに?お腹が痛いの?」
 美幸の声がして、俺の肩に美幸の手が回される。
「先生、総……如月君が気分が悪いみたいなので、保健室に連れていって良いですか?」
 美幸は俺の肩を持ったまま立ち上がった。
「あら大変、じゃあ悪いけど睦月さん、そうしてくれる?この授業が終わったら診に行くから」
 葉月先生特有の透き通った綺麗な声が聞こえるが、彼女のお姿を拝む余裕は既に俺にはなかった。
「はい」
 美幸に肩を引かれて、立ち上がらせられる。
「いくわよ総悟」
 俺は情けないことに、喧嘩中にも美幸の世話になることになったのだった。
「スマン」
 美幸に肩を借りて何とか教室を出る。
「今更あやまんなくて良いわよ。アンタの世話が焼けるのは今に始まった事じゃないでしょうに。こっちもどうせついでだからいいわ。ずっと続くんだろうし、このクサレエン」
 そう言いながらも美幸は笑っていた。
 変な優越感を与えているようだ。
 まあ機嫌が良いならそれに越したことはないか。
 これが俗に言う母性本能という奴なのかも知れない。


[戻る][次へ][前へ]