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「な…!」
 羊秀は絶句した。
 −敵国である呉の軍の総大将?!
 羊秀は考えた。
 −敵の首をかき切る好機だ!し、しかし何の考えもなしにあの神算鬼謀で知られる、陸幼節が単身で敵の目の前に現れるはずがない。そうか…周りはすでに呉軍に包囲されているな…。しかし我が剣術で…剣がない!しかし陸抗を人質に取ればなんとか…いや、護衛を置かず、単身で現れるぐらいだ…どこかに強力な武器を隠し持っているに違いない。だが仮に陸抗を人質に取れなかったとしても我が武勇を持って何とか武器を確保すれば包囲を脱出…いや陸抗のことだ簡単に脱出できるような包囲をするはずがない…
「落ち着け雅舒。」
「はっ?!はい。」
 その様子を見て陸抗は悪戯っぽく笑うと、
「こんな安っぽい計略に乗るとは愚かなり羊叔子!」
 と言い放つ。
 羊秀は懐から匕首を取り出すと
「おのれ陸抗!」
 と立ち上がってその匕首を右手に構えた。
 一方陸抗の方は座ったまま笑っている。
 羊秀はその余裕を見て、一瞬ひるんだ。
 しかし思い直し、匕首を構え陸抗に向かって突進しようと腕を振り上げる。
 しかしその時、誰か別の手が羊秀の腕を捕まえた。
「従兄上…」
 捕まえた腕の主−羊古は言った。
「悪ふざけがすぎるのではないか幼節」
 陸抗は表情を崩し、
「すまん叔子。雅舒君の反応があまりに面白いので調子に乗ってしまった」
 羊秀はわけが分からないといった顔をしている。
「従兄上・・・これは一体・・・」
 羊古が説明した。
「陸将軍と儂は以前から何度か会っておる。今更だまし討ちなどせぬよ」
 陸抗が付け足す。
「うむ。我々が決着をつける場は戦場だ」
 羊秀が追って訊ねる。
「では、陸抗が橋頭堡を建築しようとしているというのも……」
「方便だ。こうでも言わんとお前はついてこんと思ったからな」
 羊古が羊秀の方に向き直った。
「今日お前を連れて来たのは別の用があったのだ。雅舒、お前に関係あることだぞ」
 羊秀は更に驚いた。
「は?!私に?」
「ああ、お前もそろそろ結婚を考えてもいい年だろう」
「ええ?」
 羊秀は驚いた。
 羊秀は幼い頃から武術の特訓ばかりで結婚など考えたこともなかったのだ。
「そこで陸将軍にいい相手を探してもらっていたのだ」
 羊秀はしばらく混乱した頭を落ち着けようとしていた。
 −私はまだ結婚する気など…いや、そういう問題ではない。二人とも互いの立場が分かっていないんだ。
 しかしある程度頭を落ち着けると
「お二人ともお互いの立場が分かっておられるのですか?司令官同士の一族で!」
 羊古は語り始めた。
「雅舒、我々はお互いの領土を侵略しようなどと考えておらぬのだよ」
「は?」
 羊秀はますます混乱する。
 陸抗が言った。
「雅舒君、私と叔子はお互いの実力を知っている。確かに戦力では貴君ら晋が圧倒的だ。しかし私は守る側に徹すればそれなりに善戦する自信はあるし、どちらが勝ったとしても勝った側もただではすむまい。そしてそんな戦争に多くの命をつぎ込んでできた統一王朝が民衆に指示されるだろうか。」
 羊古がまとめる。
「雅舒…平和は統一だけによりもたらされるものではない・・・。分立による平和もあるはずだ」
 羊秀は必死に何か言おうとしている。
「しかし…」
 羊古は続ける。
「そこで我らは不可侵条約を結ぼうと思っておる。そしてこの縁談はその先駆けなのだ」
 羊秀は納得したわけではなかったが、二人の言うことが理にかなっていることは理解していた。
「だから分かってくれるな、雅舒」
「し、しかしどちらかの国の皇帝から攻めろと命令されたらどうするのです」
「その時は最後まで攻撃を拒み、入れられなければ失脚するだけだ」
 −そこまで覚悟しているのか…。
「まあ、我々のような有能な指揮官から兵権を剥ぐような愚挙をどちらの皇帝もおかすとは思えんがな。ははははははは…」
 羊秀は苦笑していた。
 −この人達は…。
 陸抗は
「さあ難しい話はここまでだ。紅霞、入りなさい」
 と言って羊秀の見合い相手を座に招き入れた。
「はい…」
 辛うじて聞き取れるかどうかぐらいの小さな声がして襖が開く。

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