[5]


 −翌昼

 羊秀は陸紅霞を約束通り襄陽の街へとつれ出した。
 羊秀が街の名所と言われる遺跡や露店を案内しても陸紅霞は終始無言。
 たまに申し訳程度に相づちを返す程度である。
 これではまずいと考えた羊秀は
「琳鳴殿…見合いなどと考えて堅くならず、気楽にいきましょう。」
 陸紅霞はしばらく俯いていたが、顔を上げると、ゆっくりと話し始めた。
「あなたに…話しておかなければならないことがあります。」
 羊秀はあまりいい予感はしなかったが、話を黙って聞くことにした。
「陸丞相(陸抗の父)の又従兄弟に陸績、字を公紀という人物がいました。彼は鬱林太守についていたとき一人の女児をもうけ、鬱林で生まれたことからその女児は鬱生と名付けられました」
 羊秀は真剣に聞いている。
 陸紅霞は一息ついた。
「私の母です。彼女はある男のもとへと嫁ぎましたが、その夫は彼女が嫁いで戦死しました。その前にもうけたのが私だったのです」
 陸紅霞は少し間をもうけ言った。
「私もその後ある方の許にに嫁ぎました。しかし将軍から聞いたとおりすぐに夫は病死してしまいましたが、私は母に習い、別の方に嫁ぐつもりはありません。」
 羊秀は必死に反論した。
「しかし君はなにも残していない。君の母上は君を残し、君を生き甲斐にして生きることができたが、君は何を生き甲斐にして生きていくんだ?」
 陸紅霞はしばらく黙っていたが、
「ええ、だから私は空を見上げる。空には何もないだからこそ同じく何もない私に共感し、慰めてくれる。それに生き甲斐など無くても人は生きていける。それにあなたこそ何が生き甲斐なの、何のために生きているの、何のために生きてきたの?」
 羊秀は返事ができない。
「ほとんどの者がこれだなんて生き甲斐を持っていないものなのよ。」
 羊秀は
「すぐには答えが出ない…でも、きっと…」
 そこへ一人の兵士が急いで駆けつけた。
「羊司馬でらっしゃいますね」
 羊秀は身なりをただし、
「そうだが…。何事だ?!」
「この街に皇帝陛下が巡行にいらっしゃることになりました」
「なにい?」
 −なぜこんな時に急に!陸将軍や琳鳴殿が見つかるとまずいことになる。
「そうか。このことは従兄上はもう知っておるのか?」
「いえ」
「では急いで伝えよ。琳鳴殿、我々も急いで城へ戻りましょう」
 そう言い、羊秀は慌てて陸紅霞の白い手を
「あ…」
 と紅霞の呟きも喧噪に掻き消され、二人は城へ走り出した。
 −陛下がこちらへ来ると言うことは、すぐにでもお二人を国境の向こうへ帰さなければならない。
 羊秀は時計の針が急速に早められているのを感じた。
 −淋鳴殿とのこの縁談に対する返事をそれまでに考えなければならない。
 彼女とのことを考えると先ほどの問いが思い出された。
 −生き甲斐…何のために生きているか…何のために生きてきたか…か
 羊秀は物心付くまでは才女と名高い、母−辛憲英に学問を習いつつ育てられ、十歳になったある日、羊古に預けられた。
 羊古は武術や兵学の師をつけてくれると共に、自らも私に熱心に自分の知ることを教えてくれた。
 日々の中、羊秀は国境にあって自分の国を守る従兄を尊敬し、この人と同じ血が自分に流れていることを誇りに思うようになった。
 そして何らかの形でこの人の役に立ちたいと思うようになったのである。
 日々野鍛錬で武術の模擬戦で羊古に対する勝率が勝ち越せるようになったのはごく最近のこと。
 そこで、兵法としてこの人の役に立てなくとも、この人の体を守りたいと思うようになった。
 いつか、羊古が自分の母を慕っていたことを誰かの口からきき、羊古が我が子のように自分を育ててくれていることに少々合点がいった。
 それでも、羊古が自分を育てることに生き甲斐を感じているとまで思い上がらないが、自分はこの人を守り、支えることをこれからの生き甲斐にしようと思っていたのだ。

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