[7]


 襄陽はその後、偽物の皇帝を迎え入れるのに大忙しとなった。
 無論、途中で本物と入れ替わることになっている。
 大通りを一見何の変哲もない見物客の庶民の服装で変装した陸抗−に見せようとした杜預がいる。
 その中に殺気を含んだ一人の老人が居ることに何人の人間が気付いただろう。
 その老人は音もたてずに陸抗に変装した杜預の背後に立ち、ヒ首をと杜預の首筋に当てた。
「そこまでだ。王将軍。まさか天下の益州刺史で有らせられる王士治を自らよこすとは茂先殿はよほど焦っていると見られる。」
 さらに後ろには羊古が回ってきていた。
 この老人は益州刺史・王濬(士治)その人であり、茂先とは開戦派の筆頭、張華(茂先)その人に他ならない。
「そうでもないさ。羊将軍、そして杜太守。」
 杜預と羊古ははっと顔を見合わせた。
 −この男はこちらの囮作戦に既に気付いていた!
「囮なのはお互い様、もちろん、今頃貴君の軍に足止めをされている益州水軍も囮だがね。」
「これだけの顔ぶれがここに残っているとは計算外だったが。今頃は倅達が陸抗の首を取っていることだろうよ。はーはっはっはっは!」
 羊古・杜預はただ一人の男に祈るほかなかった。
 −雅舒!


 羊秀達は颯爽と津に向かって馬を走らせていた。
 津とは要するに渡し場である。
 −両国の共存という俺の夢を。雅舒、お前に託す
 これが従兄羊古の言葉。
 −だが無理に婚儀を行わなくてよい。そなたの意志で決めるがよい。
 これは皇帝司馬炎の言葉。
 つまり、両国共存云々ではなく、自分の意志で婚儀の是非を決めろと言うことだ。
 −津に付くまでに決めなくてはいけない。私があの人をどう思っているのか…。
 陸紅霞に視線を投げる。
 陸紅霞は行きとは違い、族父陸抗の腕の中で揺られており、早く進む馬の上で伯父の胸にしがみつき、視線は相変わらず伏せられていた。
「司馬殿…」
 周旨が馬を寄せて羊秀に話しかけてきた。
「うむ」
 羊秀も気付いていた。前方からやってくる三つの騎影に。
  近づくに連れて砂塵の中の顔がはっきり見えてくる。
 −あの顔は見たことがある…。地方行政を報告する会議に列席にしていた益州刺史王濬の子達…上から順に王経(彦緯)・王沈(処道)・王業(処静)だ。
「陸将軍!ここは我々が食い止めます。津には船が待機しております故、先に行って下さい!」
 陸抗は
「かたじけない!」
 ただそう言ってその腕の中にいる陸紅霞、一瞬顔を曇らせたがすぐにいつもの澄まし顔に戻った。
 一方、羊秀達はそれぞれが羊秀が王経、周旨が王沈、杜錫が王業と切り結んでいる。
「なぜだ!何故邪魔をする!」
 王経は斬りつけながら叫んだ。
「それはこちらの台詞だ!」
 羊秀も斬りつけ返す。
「孫呉が手強いことは認めよう。しかしそれは奴・陸抗が居るからだ!奴さえ殺せば…」
 王経に対し鍔競りをしながら羊秀も吠えた。
「その戦いで死ぬのは誰だ!貴様なのか?少しでも平和な時代が続けばいいとは思わないのか?」
 王経も負けない。
「統一してこその平和だ!」
「違う!分立による平和だって…」
 −そうだ。
「分立による平和だってあるはずだ!」
 羊秀は渾身の一撃を打ち込んだ。
 王経は腕がしびれるのを絶えながら必死にそれを否定した。
「違う!そんなものは幻だ!詭弁だ!国が複数あれば戦争は必ず起こる。」
 羊秀は剣を振り上げた。
「統一された時代に戦争が起こらないと言う思想こそ幻だ!詭弁だァァァァ!」
 羊秀は最後の力を込めてそれを振り下ろした。
 羊秀は口でこそ平和を論じていたが、先程から頭を支配していたのは一人の少女だった。彼の頭からはあの時一瞬だけ顔を曇らせたあの表情がこびりついて消えなかったのだ。
 −行かなければ…
「杜錫!周旨!残敵の掃討は貴公らに任せる。
 私は…お二方の護送の任務を見届ける!」
 羊秀は未だに任務にこだわっている自分が嫌になった。羊秀はただもう一度彼女に逢いたくて、ただそのために闘った。だから勝てたのだ。
 そう思いながら羊秀は馬を疾駆させた。

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